03.
「なあ、最近ツナ、変わったよな?」
「あぁん? てめーに十だ…いや、つ、ツナ、さん…のことがわかんのかよ!?」
「獄寺どもり過ぎ」
「う、うるせー! …でも、確かに最近の十だ…ツナさんは変わった気がする」
だよなぁ、と山本。
放課後の教室には獄寺と山本の二人だけしか残っていない。部活のある山本が抜けることはあっても、綱吉がいないことなどほとんどなかったのに。用事があると言っていたけれど、聞いてもうまくはぐらかされてはっきりしたことはわからなかった。それもまた二人にとっては引っ掛かることのひとつだった。ちっぽけな嘘すらまともにつけない綱吉が、はぐらかすなんて高度なことをできるはずがない。
それに、いつも朗らかなはずの表情や仕種が、まるで別人のように冷たくなることがあった。
「実はさ、昨日、帰りにたまたまツナんとこのおばさんに会ったんだ。そしたらなんかさ、ツナ、俺んちに泊まってることになってるらしくてーーー」
「はぁ!? マジかよてめぇ!」
綱吉のこととなると途端に手が出る獄寺は、瞬時に山本の胸倉を掴み上げた。仲がいいような悪いような2人にとっては日常茶飯事だが、今回は質が違う。焦っているのは山本も同じだ。
「その反応、お前んちに世話になってるってわけでもないのか…」
しかし山本は苛立ちを見せぬまま、ただ小さくため息をついた。
「どーいうことだよ!?」
獄寺はわけがわからず更に山本に詰め寄る。
「ツナさ、ここ最近家に帰ってないらしいんだ。俺んちに泊まってるって嘘までついて」
「なんのために!」
「知らねーよ。聞こうと思ったけど、なんか隙がなくて聞けなかった」
「………」
獄寺はゆるゆると手を離し、力無くうなだれた。知らないことが多過ぎる。
十代目、と呼ぶと悲しげに微笑むことに気付いたのはいつの頃だったか。綱吉は必死で隠そうとしていたけれど、彼が悩んでいることはずっと前から知っていた。水臭いと思ったし、相談してほしかった。でも、綱吉はつらそうな顔すら隠せないくせに、親友のために上手な嘘を探し続けていたのだ。
だから、言い出せなかった。
どうすればいいのか、わからなかった。
「なあ獄寺、俺達は本当はどうすれば良かったんだろうな…」
「…わかんねー。でも、今のままでいいはずがないのは確かだ」
「…ああ」
「じっとしてるのは性に会わねー! 行くぞ山本! とにかく十代目を探すんだ!」
「はは、そーだな。その時は、ちゃんとツナって呼んでやれよ」
「う、うるせー!」
「綱吉くん、大丈夫ですか?」
『……うん…』
「嘘つきは泥棒の始まり、ですよ」
『……嘘じゃないよ、俺はまだ大丈夫だから…』
どこがですか、と呆れながら、骸は扱い慣れた綱吉の身体を桜の幹に寄り掛からせた。綱吉はもう随分と長いこと表に出ていない。口数も減って、学校すら骸に任せていた。家には帰りたくないと言うし、ファミリーと顔を合わせるのも厭うから、最近はずっとこの狂桜に寄り添って夜を過ごしていた。
「悪いことは言いません。お嫌でしょうが、一度帰った方がいい。ちゃんと眠って心と身体を休めないと」
『……』
綱吉は内心の葛藤を隠しきれぬまま、しかし沈黙を保ち続けた。骸は小さくため息をついて、再度綱吉を説得しようと試みる。
「いい加減血の臭いも染み付いてしまいましたよ。僕は別にいいですけど、あなたはお嫌いでしょう?」
『……っ』
骸が空中に延ばした綱吉の手は、赤黒く粘つく液体に濡れていた。その嫌な感触も臭いも、今の綱吉に伝わることはないけれど、感じてはいた。その手が赤く染まるシーンもすぐ傍で見ていたのだから。
何度目になるかも、わからない。あれ以来、綱吉を試すかのように毎夜銃を渡された。その度に綱吉の身体は血に染まり、その臭いはしっかりと馴染んでしまった。綱吉の意識が表に出れば、その血臭は容赦なく綱吉を苛むだろう。
いつまでこんな日々が続くのか。
「…ねえ、綱吉くん。僕から逃げてもいいんですよ」
唐突に呟かれた言葉を、綱吉はすぐには理解できなかった。
『………え…?』
「逃げることは、悪いことではない。自分を護って何が悪いと言うのか」
淡々とした声は、血に濡れた身体から発せられたとは思えないほど、澄んでいた。
「見たくないなら、目をつむっていなさい。聞きたくないなら、耳を塞いでいなさい。罪悪を感じる必要はないのです」
『骸さん…?』
「あなたは神に愛されているんですよ。他の誰が何と言おうとも、僕はあなたを赦しましょう」
『………どうして、そこまで…?』
確かに契約はした。骸が綱吉の願いを叶えるかわりに、綱吉の全てを骸に捧げると。でもこれではまるで逆ではないか。捧げられているのは綱吉の方だ。
「……僕は元々禍神ではなかったんです」
『…え…』
「人々の裏切りが、僕を禍神にしたのですよ」
静かな中に、確かな怒り…いや、怨念に近い思いを潜ませて、骸は言葉を紡いだ。
「人間は嫌いだ。すぐに裏切る。…でもあなたは違う」
言葉の端をほんの少し甘くして、目を閉じる。綱吉の意識に触れているような、そんな感覚に包まれて、心地良い。
「穢れた僕を宿しながらも、あなたは純粋なまま。こうしているとよくわかるんです。あなたは決して僕を裏切らない」
『……』
「クフフ、自分ではわからないかもしれませんね。でも僕は、そんなあなただからこそ護りたい」
『骸…』
「邪魔をするなら、誰であろうと排除するーーーそう、雲雀恭弥、君でもね」
「……嫌なやつ。気付いているなら早く言ってよ」
闇に溶け込んでいた学ラン姿が月明かりに照らされてあらわになった。暗いせいでハッキリと表情を窺うことはできないが、柳眉が少し歪められて苦しそうだ。
そう、この場には骸の桜が咲き乱れている。真っ白に狂い咲く、禍神の桜が。
『…雲雀さん…!』
「…沢田はそこにいる?」
雲雀に綱吉の声は聞こえない。綱吉が雲雀を呼ぶ声と雲雀が綱吉を求める声とはぴったり重なって、しかし響いた次元が違ったために交わることはなかった。
「もちろんですよ。あなたの出現に戸惑っています」
骸はそれを知りつつも、気にかけることはしない。
「…話がしたいんだ。今すぐ沢田を出して」
「おやおや、それが人にものを頼む態度ですか? ましてや神に請う態度ではない。さすが雲雀家の血筋、と言ったところですかねぇ。まったくもって礼儀を知らない」
綱吉の顔で意地悪く笑みを浮かべてやれば、雲雀はぴくりと神経質に眉を寄せた。
「いいから沢田を出して!」
「……」
『どうします?』
『………出、ます…。ちゃんと話さないといけないと…そう、思いますから』
無理はしないで下さいね、と残し、骸は綱吉の奥へ沈んだ。入れ代わりに綱吉の意識が浮上する。
「…う…」
自分の身体から立ち上る血臭に眩暈がした。生命が消える瞬間がフラッシュバックして綱吉を責める。吐き気よりもっとひどい。内蔵が丸ごとひっくり返るような気持ち悪さだった。
『綱吉くん、大丈夫ですか?』
「だ、大丈夫だから…」
気丈に振る舞って、綱吉は雲雀を真っ直ぐに見据えた。意識を雲雀に固定していないと倒れてしまいそうだった。
「…久しぶりだね、沢田。元気そうでなくてなにより」
「いきなり厭味ですか。相変わらず手厳しいですね、雲雀さんは」
はは、と口だけで笑うが、強がりだということは瞭然だった。その痛々しい様子に、雲雀は奥歯を噛み締める。
「それで、俺に話があるんですよね。なんですか?」
「…君、ここ最近家に帰ってないんでしょう? 君の友達とやらが捜していたよ」
おそらくは、獄寺と山本のことだろう。あの二人にはいずれバレると思っていた。こうなると、学校へも行かない方がいいかもしれない。彼らを巻き込むわけにはいかない。
「…そうですか」
「君、何をしているの。その血は何。これは君の意思なの? それとも、あいつに操られているだけ?」
「多いですね、質問」
「わからないことが多いからね」
「…わからないままでは、いけませんか?」
「無知は時として罪だよ。僕は同じ間違いを犯すほど愚かじゃない」
「………」
雲雀の鋭い視線は、綱吉を貫いてその先ーーー骸をも射抜いていた。脳裏で骸が感嘆の声を漏らしているところを見ると、2人の間でのみ通じる何かがあるらしい。今の綱吉にはそんなことを気にしていられる余裕などなかったが。
「…後半2つだけ答えます。1つ目、これは俺の意思です。2つ目、骸さんに操られているわけじゃない。…以上です」
淡々と、しかし明確に答えた。嘘はない。でも、これ以上を教える気もない。
「なら、別の質問。君がこうなったのは、君んちの家業…一族の業を引き継いだから?」
「…っ!!」
知られていた…?
愕然として、綱吉は一瞬意識を失いかけた。
これでも精一杯隠そうとしていたのに。友人すら遠ざけて、何も知らない母に嘘をついて、必死で欺こうとしていたのに。
「…並盛は僕の土地だ。その領内にある組織の動きは大体把握してる。だから君がマフィアの十代目候補だということも、ずっと昔から知ってたよ」
「…なら、どうして…?」
どうしてそんなふうに接してくれるのだろう。どうしてそんなに普通なの。
奇しくもその疑問は、過去に雲雀が綱吉に抱いたものと同じだった。
「君は君、マフィアはマフィア。僕にとって、君は沢田綱吉であって、ボンゴレ十代目なんて大層なものじゃない。遅刻魔の、沢田でしょ」
「……雲雀さん…」
「業に縛られる苦痛がどんなものか、僕は知ってる。雲雀の業と沢田の業が重なった今、放っておくことなんてできない」
雲雀の、業。彼はそう言った。骸を介して二つの業は絡まりあい、ここに集っているのだと。
「君は今、何に苦しんでいるの」
雲雀の紡いだ言葉はどこまでも真摯だった。その澄んだ黒曜石を思わせる眼は、いつだって綱吉自身を見透かしていた。マフィアだとか十代目だとか、そんなぼやけたフィルター越しじゃない。真っ直ぐに、あるがままの綱吉を。
「お、俺はーーー」
『綱吉くん、少し眠りなさい』
脳に響いた言葉は、綱吉の意識を急速に薄めた。
(…こ、こと…だ…ま…?)
それが骸の言葉によるものだと考えが及んでーーーぷつりと、そこで綱吉の意識は途切れた。
「沢田…?」
異常に気付いた雲雀が声をかける。
「軽々しく呼ばないでください」
綱吉の声変わりしていない高い声が、凍えるように冷たく拒絶を吐き出す。
すぐにその変化の意味を感じ取った雲雀は、袖口から愛用のトンファーを抜き出し、強く握りしめた。
「何のつもりっ? 僕は沢田と話してるんだ」
「綱吉くんは話すことなどないそうですよ」
「…嘘。お前が沢田を封じたんでしょ」
「クフフ…ご想像にお任せします」
口だけの胡散臭い笑みを浮かべる骸を、雲雀はぎしりと音がしそうなほどに睨み付けた。そうでもしないと身体が言うことを聞いてくれない。この場は不利だ。だが今退くわけにはいかない。
「沢田を出して、六道骸」
「黙りなさい、恭弥」
「…!」
その、呼び方は…!
(言霊…!)
「…っ…」
声が出ない。完全に骸の支配下に入れられた、独特の甘い感覚。
「裏切り者の君に用はありません。本当ならすぐにでも殺してやりたいくらいだ」
骸は一歩一歩ゆっくりと雲雀に歩み寄った。押し潰そうとしているような異様なプレッシャーは、ぐらぐらと脳を揺さぶられるような錯覚を生み、息を詰まらせた。
「でもね、君には恩があります」
「……っ!」
骸が近づくにつれて、幼い日の記憶が鮮明になって雲雀を襲った。ずっと蓋をしていたのに。見えないように隠して、自分を保っていたのに。
「あの時、幼いあなたは何も知らなかったとは言え、僕の封印を解いてくれましたね」
「…っ…っっ!」
やめろ、と口は動いた。でも音にはならない。叫びたくても叫べない。骸の刃のような言葉を止められない。
「そして、御礼にあなたの願いを叶えてあげた僕を、あなたは封印した。酷い裏切りでした。今でも少し、煮え繰り返る思いがありますよ」
「……っ…!」
記憶が、溢れ出す。
『名前、ですか? そうですね…まあ、いいでしょう。君には教えてあげます』
『言霊と言うものをご存知で? 名前でその者の本質を縛るんです。だから安易に他者に教えてはいけませんよ』
『でも君は特別。僕を助けてくれたあなたになら、縛られてもいい』
『六道骸。それが僕の名前です。決して忘れてはなりませんよ』
『おや、そのままの呼び方でいいんですか? あなたの好きなように呼んで構いませんよ。あだ名を付けてその者が認めた場合、言霊はより強まるのですから。言霊を得たもの同士は特別な絆で結ばれるんです。素敵でしょう?』
『クフフ、響きが気に入ったのですか? なら、そのように呼びなさい』
『では、君の名前は?』
『…雲雀…?』
『…そうですか。なら、僕はあなたを恭弥くんと呼びましょう』
『くん付けは気持ち悪いですか? 仕方ありませんね、ならば恭弥と呼びましょう。いかがですか?』
『クフフ。では、恭弥。僕を解き放ってくれた御礼に、あなたの願いを叶えてあげましょう』
『どんな些細な願いでも、漠然とした願いでも、ひとつだけ』
『僕の全てで、君の願いを叶えましょう』
『さあ、君の願いは?』
あの時雲雀は、何も言えなかった。願うということを禁じられて生きてきたから。常に家柄だのしきたりだのに縛られて、自分なんていうものは存在しなかった。だから、骸が叶えた願いはーーー。
『…あなたの願い、確かに聞き届けました』
『あなたを縛るしがらみから、あなたを解放しましょう』
『恭弥。あなたに、自由を』
「クフフ、自由になったあなたが真っ先にしたことと言えば、僕の封印ですからねぇ。まあ子供のすることですから、不完全ではありましたけど。でも、そのおかげで僕は綱吉くんに出会えた」
「っ…っっ…!」
「何か言いたげですね。いいでしょう、少しなら許可しますよ、恭弥」
途端、雲雀の喉が振動を取り戻す。まだ痺れのようなものは残っているが、声はなんとか出せた。
「…な…にが、自由なの。君はただ雲雀家の人間を殺しただけじゃない。僕はあんなことを願った覚えはない…!」
『どうしてか、ですって?』
『それをあなたが聞くんですか?』
『これはあなたの真実の願いですよ。自由になりたい、その願いの結果だ』
『これであなたは雲雀家のしがらみから解き放たれた。これからは何をするのも自由ですよ。それだけの力も与えましょう』
『…一体何がご不満なんです? 君の願いを叶えたのに、どうして僕を怨む? どうしてそんな目で見る?』
『僕を裏切るつもりですか、恭弥』
『自由を願ったあなたが、僕の自由を奪うというのか』
『恭弥…いえ、雲雀恭弥。醜い人の子よ』
『この狂桜が再び咲き乱れる時、あなたは因果を思い知るだろう』
『…また、いずれ』
「神は善悪に関係なく願いを聞き、時に叶えるもの。願いは願い。それ以上でも以下でもない。思い出してみなさい。あなたにとって、しきたりだの使命だのと小煩い雲雀家は邪魔でしかなかった。常々消えてほしいと思っていたでしょう」
「…違う」
「嘘はいけませんよ。例えばここで言霊を使って嘘を禁じてみましょうか。隠していることがたくさんあるんじゃないですか?」
「嘘なんてーーー」
「例えば綱吉くんへの歪んだ想いとか」
「黙れ!」
雲雀の熱を帯びた声が響き渡る。
「クハっ、自分に正直な者が隠し事なんてするからそうなるんですよ」
骸はさらりと受け流して、雲雀の息遣いが感じられるほどの距離で止まった。
「ねえ。触れてみたい、とか思ってます?」
「誰が…っ」
「おやおや、せっかくの機会だと言うのに。こんなに近付けるのはこれが最後かもしれませんよ」
「何言ってるの。意味がわからないよ」
「クフフ、今にわかります」
今にね、と耳元で囁いて、骸はあっさりと雲雀の横を通り過ぎて夜闇に紛れた。
「……く…!」
雲雀は動けなかった。トンファーはいつでも骸を狙っていたのに。あんなに隙だらけだったのに。あの顔に、あの声に、あの仕種に、どうしても惑わされる。
綱吉に、惑わされる。
いつも連載ものにおいて1ページ(1話)にだいたい原稿用紙20ページ前後を目安に詰めているのですが、今回なかなかうまいこと切れる場所がなかったため、少し短くして02と03に分けました。
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ようやく三つ巴っぽくなってきた…と思っていればいつか三つ巴になるんじゃなかろうか(謎)
そして我が家の骸さんはツナに依存しがちですね。私はヤンデレなツンデレが好きなわけですが、デレる時は依存傾向なデレ方に悶えるのです。
ちなみに、『狂桜』における言霊の設定は、けっこうテキトーです。ちゃんとした言霊と言われるものの設定とは少しーーーかなり、ズレていることと思います。信じないでくださいね。
2008.4.26