09.




 しゅびっ。

「やぁ! 骸君どこ?」

 次の日、見事なキレで手を上げ、白蘭は満開の笑みを浮かべて執務室を訪れていた。晴れやかな朝にぴったりの、晴れやかな笑顔だった。
 綱吉は思わずパカリと大きく口を開け放つ。
(わっ、忘れてた……!!)
「〜〜ッ」
 ぎりぎりで驚愕を声にすることだけは堪えたものの、頭の中はパニック真っ最中だ。いろんなことがあってすっかり忘れていたが、今日は白蘭が来るとか何とか言っていたような気がしな――くもない、日だったのだ。よりにもよって、骸に会いに。
「も、申し訳ありません、十代目! 止めても止まるようなヤツではなく……っ」
 白蘭の背後には、水飲み鳥のように何度も頭を下げる獄寺がいた。綺麗な灰色の髪を振り乱す様は歌舞伎役者にも似ている。気の毒に、と綱吉は思う。白蘭が相手では、優秀な右腕もヒヨコ同然だ。いくらピーピーと騒ごうとも、それは声でなく音でしかない。白蘭を止められる者など、片手で数えるのも勿体ないくらいに少ないのだ。
「い、いいから、獄寺君。来ちゃったものは仕方ないよ。獄寺君は執務に戻ってて」
「は、はい……すいません。失礼します」
 最後に大きく頭を下げ、獄寺は踵を返す。昨日の後始末――伝言を怠ったファミリーへの処罰など様々だ――のせいで、今日はいつもより忙しい。本来なら他ファミリーのボスを執務室に招くことはまずないし、しかるべき会議室でしかるべき人員を配置してしかるべき対応をとるべきなのだが、今日に限っては例外だ。とにかく、やるべきことが有り余っている。次の執務に頭の中を切り替えつつも、獄寺はさりげなく白蘭を牽制しながら退室した。
「で? 骸君は?」
 白蘭は獄寺の警戒に気付きながらも、にやにやと無意味な微笑を浮かべたまま尋ねる。
 一方の綱吉は顔をしかめた。
「……白蘭、礼儀って知ってるか?」
「んなもん母親の腹ん中に置いて来たよ。大体、僕は君に用があるわけじゃないしね」
 用件はひとつだけだよ、と白蘭は辺りを見回す。いつもなら骸の悪戯が手荒に迎えてくれるのだ。時にスラックスを引き下げようとしたり、時に水鉄砲で墨をかけようとしたり、酷い時には毒蛇を投げつけたりして、骸は白蘭に対してとても子供らしい一面を見せる。精神年齢が近いのではないか、とはボンゴレ守護者全員一致の見解である。
「んで? ねえ、骸君はどこ? 全然見当たらないんだけど。おーい、骸くーん? ……あ、ひょっとして、今日は放置プレイごっこでもする気なのかな?」
 プレイだとかどんなにアダルティーに聞こえても、精神年齢が低いことに変わりはない。綱吉は呆れ顔でため息をついた。
「……どんな遊びだよ。それに、悪いけど、今日は骸はいないよ。……出掛けてるから」
「ふーん? 妙な間が気になるなぁ」
 白蘭は綱吉の言葉尻が弱いことを知るや否や、急に鷹のように目を尖らせた。
「出掛けた、ね……。さて、どこにかな? 誰とかな? 君は骸君に、僕が来るって言っといてくれなかったわけだ?」
 陰湿に続け、白蘭はくすりと声に出して嘲笑った。
「それに、その首はどうしちゃったの? 昨日会った時にはなかったのに。急所にケガだなんて、穏やかじゃないね」
「…………っ」
 白蘭の視線に晒された首には、小さな傷があった。昨夜――正確には今日の早朝になるが――、骸の怒りがつけたものだ。四つ平行に並んだ傷は特徴的で、鋭い物に一度に抉られたであろうことは簡単に想像出来る。
「ナイフじゃないし、針でもない。僕の予想だと――フォーク、かな」
「…………」
 妙な勘の冴えを見せる白蘭に、綱吉は沈黙を返すしかない。だが、沈黙は肯定も同じ。白蘭は確信を得て満足したのか、「そういえば――」余裕たっぷりに話題を換えた。
「君、昨日はやたら急いでいたようだけど、何か約束でもあったの? ……あったんだよねぇ? 余程大事な約束だったのかな? すごく必死だったもんねぇ?」
 笑いを堪えられない、といった風だ。じわじわと嬲るように言い連ねて、白蘭は綱吉を追い込んでいく。綱吉は苦しげに眉根を寄せていた。
 白蘭は一層嗜虐的に笑んで、簡潔に的を射る。
「君、骸君との約束破っちゃったんでしょ。で、傷心の骸君は家出しちゃったわけだ」
 ドクン、と綱吉の胸は否応なく反応してしまう。図星だ。けれど込み上げる感情にはなんとか蓋を押し付けた。
「……ちょっとの間、距離を置くだけだよ」
「ふーん……?」
 苦々しげだが、綱吉は否定を口にしなかった。骸に関連する挑発には易々と乗ってしまう綱吉の思わぬ冷静さに、白蘭は意外そうに眉を上げた。
「なんか、今日は変な感じだね。いつもと反応が違うみたいな……――あれ?」
 ふと、不審げにしていた白蘭の視線が机上の便箋にぴたりと止まる。薄い空色のグラデーションが美しい、シンプルな紙だ。手染めのような色合いは、寒色でも温かみがあった。その上半分ほどを、お世辞にも上手いとは言えない筆記体が埋めていた。
「それ、手紙?」
 言うと同時、白蘭の指が素早く便箋を拾い上げる。
「っ! おい、勝手に触るな!」当然綱吉は抗議の声を上げた。けれど便箋を奪い返そうとした手は空を切る。
「ははっ、ムキになったね。やっといつも通りだ」
 白蘭は意に介することもなく、いやむしろ愉快そうに高く掲げた便箋を揺らしてみせる。まるでいじめっ子といじめられっ子だ。もちろんいじめっ子側である白蘭は、綱吉の制止も無視して手紙に目を通す。
「『骸へ』? へぇ、骸君に手紙?」
 最上段にしっかりと書かれた宛名を読み上げれば、綱吉はカッと頬を染め上げた。
「読むな! お前に読ませるために書いたんじゃない!」
 半ば襲い掛かるような動きで手紙を奪いにいくが、悲しい身長差に加え、淡泊なはずの白蘭の妙な執着が立ちはだかっては、かなうはずもなかった。
「ふむふむ、『レモンタルト、すごく美味しかった』? え、机のソレのこと? 骸君が作ったの!?」
「さ、触るな嗅ぐな食べようとするな! やめろってば!!」
 目をきらきらさせて机に歩み寄る白蘭を、その隙間になんとか身体をねじ込んだ綱吉の両手と右足とがせき止める。今にも巴投げに発展しそうなポーズだが、白蘭の意識は机の上にある食べかけの一皿にがっちりと固定されていてそれどころではない。白蘭の興味を引いているのは、綺麗な二等辺三角形に切られたシンプルなタルトだ。焼きたてではないようだが、その分しっとりとしている。上面をほのかにレモンが香るメレンゲが覆い、その下にはマドレーヌのような生地がどっしりと構えている。白蘭は自他ともに認める甘党だ、きめ細かいそれがメレンゲと合わさりどんな味わいを生むのか、想像しただけで胸をときめかせてしまうようだった。
「すっごいじゃん! ははっ、おいしそうに出来てる! 骸君頑張ったね〜!」
 はしゃぐ声は本当に嬉しそうで、綱吉は複雑な心境だった。綱吉も、実際にこれを目にした時は同じ感想を持ったのだ。そしてそれは、本当なら骸に直接言ってやるはずの言葉だった。もし、約束に遅れることもなく、骸と同じ席について、同じ物を食べて、同じ時間を過ごせていたなら、きっと、今頃は――。

「――けど、君は全然頑張ってないね」

「っ?」
 現実に戻されて、綱吉は白蘭が少し離れたところにいるのに気付いた。元より食べかけのタルトに手を出す気はなかったらしい。白蘭の目は何度も手元の手紙を往復していた。
「あのさぁ、始まりからしてダメだよ、これじゃ。『骸へ』じゃなくて、『大好きな骸へ』ね」
「……はぁ?」
「タルトのことだって、『すごくおいしかった』って小学生じゃないんだからさぁ……」
 綱吉の反応を無視して続ける白蘭は、やれやれ、と顔の横で手を振ってみせる。
「君、何歳なわけ? もっと具体的に、焼き加減とか甘さの具合とかレモンの酸味のバランスとかメレンゲの舌触りとか、素人でも書けることいろいろあるでしょ? 骸君にまた作りたいなって思わせるようなこと書かないでどーすんの!」
「は、はぁ……」綱吉は困惑するばかりだ。
「あと、ごめんごめんて何回謝る気? 謝るのは最初と最後だけでいいよ。そんなことより、今回の反省を活かしてどんなところを改善するかとか、今後骸君とどういうふうに接していきたいかとか、これからのことの方が大事でしょ!」
「…………」
 今、自分は何の説教を受けているのだろう。綱吉は率直な感想を抱いて黙り込む。白蘭は当然のようにそれも無視して続けた。
「極めつけは最後の締めだね。『どうか会いに行くことを許してほしい』なぁんて、ンな乙女チックなの気持ち悪いよ! そこはもっと強引に、『絶対、迎えに行くから。もし拒否されたって、何度だって迎えに行くから。俺はお前と一緒にいたいんだ』とかさぁ! ちょっとはグッとクる台詞考えたらどうなの!?」
「……お前、どうしちゃったの」
 綱吉の口からぽろりと出た言葉は、心底疲れ果てていた。白蘭のこんな様子は見たことがないし、当然耐性などないのだ。骸と二人の時はいつもこうなのだろうか、いやそんなまさか、と自問自答を繰り返しては疲労ばかりが溜まっていく。骸の自称友達としての白蘭を、綱吉は表層しか知らない。
 白蘭は呆れを吐息と共に吐き出して、面倒そうに答える。
「だーかーら、手ほどきだよ、手ほどき! 君が骸君との約束に遅れたのは、僕のせいでもあるからね。あの時どうにかして会議を早く終わらせれば良かったのに、それをしなかった。僕の落ち度だ。何かしらで償わないと、骸君に悪い」
「え……」
 後半は、意外なほど真摯な声だった。その思わぬ発言に驚愕し、綱吉は先程とは違った意味で言葉を失った。綱吉が約束を守れなかったことに、白蘭はほとんど関係がないと言っていいだろう。なのに白蘭は悔しそうに眉を寄せている。何故だろう、と少し考えれば、白蘭が本当に骸を大切に思っているからではないのかという結論に辿り着きそうになる。それをどうしても否定したくて、綱吉は殊更にじっと白蘭の様子を窺った。
「骸君は聡い子だよ。誰に好かれていて誰に嫌われているかくらい肌で感じ取れる。でも、まだまだガキんちょだもん。本当に好きなら、大好き大好きアイシテルって、馬鹿みたいにストレートに伝えた方が安心するよ。骸君、すごく臆病だから」
「……骸のこと、全部わかってるような口ぶりなんだな」
「ん? そりゃあ、トモダチだもん。全部じゃないけど、それくらいはわかるよ」
「…………」
 結論は、正しいのだろうか。この男は、本当の本当に、心から骸の友達なのだろうか。
 綱吉は迷った末に、ひとつの疑問を口にする。
「――なあ、白蘭。お前は本当に骸の味方なのか?」
「!」
 あまりに歯に衣着せない物言いに、さすがの白蘭も驚いたらしい。ぱちりと菫色の瞳を瞬かせて、綱吉をじっと見つめる。
「ツナ君……?」
「……俺は、お前を好きにはなれないよ。たぶん、これからもずっと。でも、骸が……、あいつが、お前を信じているのなら、俺も……」

 ――信じていいんじゃないかと、思う。

 音にならないくらいの小さな声だったけれど、確かにそれは綱吉の言葉として白蘭に届いていた。
「……随分と、ハッキリ言ったね」ぽつりと、白蘭が呟く。困ったような、珍しい表情で。そして少しの間何かを考える素振りをしていたが、やがて晴れやかな顔を見せた。

「骸君とは、本当にトモダチなんだよ」

 静かに、けれど迷いなく言い切って、白蘭は初めて骸と出会った日のことを思い出す。
 今から十ヶ月ほど前のことだ。
 綱吉の大きな過ちが骸の心を切り裂いた直後、見えない亀裂の走ったボンゴレ・ファミリー本部で――。

(そう。あの時から、僕らは……)



















今回の話では、ちょっとだけ白蘭と綱吉の仲が近づいた感じですね。
前回の話があんまりにもあんまりなので、早めに綱吉の苦難を乗り越えたいものです。
まあ、報われるのはまだもう少し先の話なんですが……。

とりあえず、次回は白蘭と子骸さんの過去話になります。
いろんなことが少しずつ明らかになる、はず。



2010.1.26




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