05.
確か、あれは徐々に冷え込みのきつくなってきた秋の夜長のことだった。
「こういうことは事前に言っておけ! いきなり拉致誘拐犯にされるなんて思ってもみなかったぞ!」
ああ、久しぶりにこんな大声を出した気がする。
微かな喉の痛みを感じながら、ハンドルを握る手を鋭く切り返す。『スピード落とせ』を指示する標識が見えた気がするが、無視だ、無視。S字にうねる連続カーブをドリフト混じりに突き抜ければ、車の甲高い悲鳴が辺りに響いた。荒れた山道だけあって大量の砂利が弾け飛び、車の内部からはゴロゴロという異音が絶えない。これはタイヤの交換だけでは済まないだろうな……。
「――だって、言ったら、来て、くれないと、思ったから……」
背後でチュィンチュィンと瞬間的な金属音が続く。こんな修羅場ですら落ち着いているクロームはなかなか度胸があると――いや、そういう問題ではない!
「状況を考えろ状況を! こんなことになるとわかっていたら、もう少しいい足を用意した!」
今度はさっきとは逆にハンドルを切った。林を突っ切るコースだ。断末魔のようなタイヤ音と、哀れな若木の悲鳴が響き渡る。
「ぎゃんっ!!」
後部座席から人間の悲鳴も聞こえた。音からしか判断出来ないが、どうやら犬がどこかに頭をぶつけたらしい。アイツは石頭だから大丈夫だろう。無視だ、無視!
「舌噛むなよ!」
後ろを確認する暇もなくまたハンドルを切る。いつかこのハンドルが取れてしまうような気がした。
「くっ……!」
すぐ脇の空気が裂け、そこここに茂る草木が代わりに銃弾を受けて揺れた。助かったと同時に申し訳なく思う。巻き込まれたもの同士、同情のような思いがあった。
そうだ、オレは巻き込まれたのだ。
奇しくも、かつてオレに罪を被せた罪人が誰の手も届かない場所へ逝ったのと同時期に、終わりなどないと思っていたオレの贖罪の旅は終わってしまった。時の経過とは残酷なものだ。否応なく憎悪を薄め、疲労感に変えてしまう。誰もが疲れた顔でオレを向かえ、許すことも出来ないままにもういいのだと零す。罪は罪のまま残して。だが、旅は終わっても、罰に終わりはなかった。罪を背負いながら生きること、それがオレに課せられた罰だった。償うために残されたこの命をどう使うべきなのか。長くもあり短くもあった贖罪の旅路をなぞりながら、その使い道を考えていた時のことだった。かつての同僚の――オレが殺した仲間の、娘が言った。
『どうか、どうか綺麗な花をください。血に濡れていない、花を』
多くを語らなかった彼女の言葉を何度となく反芻し、良くもない頭を駆使して行き着いた答えは、随分と単純なものだった。それから数年後、オレは大して栄えてもいない街角で、小さな花屋を始めた。『バンビーノ』と名付けたそれは、裏庭で一から育てた花だけを売る、荒唐無稽な花屋だった。馬鹿じゃないか、血迷ったのかと指差されながらも、今もひっそりと営んでいるはずだったのだ。それがどうしてこうなった?
「――ごめん、ね、ランチア。次、からは……、気を、つける」
荒い息の混じったクロームの声に、意識が現実に戻された。ハッとすると同時にその言葉の意味を理解し、咄嗟にハンドルを切りながら叫ぶ。
「……っ、次があってたまるか!!」
ぎゅりりりりりッ。
タイヤかサスペンションか、とにかく車が号泣している。店を開いてすぐに中古で買ったものだが、見た目も中身もまだまだ現役真っ直中だ。愛称はコッチネッラ(てんとう虫)。色こそ黄色いが、丸いフォルムはてんとう虫そのままで、軽車ならではの小回りの良さが気に入っていた。花と土と肥料とを運ぶはずのものだった。それが今は――何も言うまい。
すまないコッチネッラ、オレなんぞに買われたのがお前の運の尽きだったんだ!
「ちっ……!」
絶え間なくコッチネッラの嘆きが響く。車の寿命が縮むたび、オレたちの命は長らえた。背後に迫る黒い車から発せられる銃弾は、ことごとくオレたちには当たらない。その代わり、コッチネッラの背中はずたずただ。
「くそ……! おい、コイツじゃ長くはもたんぞ!」
降って湧いた役目ではあったが、せめて完遂させてやりたかった。もはや手応えのおかしいハンドルを勘に任せて切りながら、バックミラーごしに後続を探る。ちらりとしか見る余裕はなかったが、木々の合間の闇に溶け込むようにして追ってくる黒い塊は、逃げ始めた当初からまったく変わらぬ距離感に存在した。遠目なので顔はわからないが、白衣をなびかせた人影がご立派な銃を構えて窓枠から半身を出している。さっきからコッチネッラに穴を穿っているのはアイツだ。命中精度は悪いが景気良く弾をバラまくやり方は、明らかにプロのそれではない。意味深な白衣姿といい、素人に毛が生えた程度の腕といい、オレたちは何に追われているのやら。
「とにかく、早く次の手を考えないと――」
「大、丈夫。たぶん、そろ、そろ……、銃撃、は、やむわ」
助手席のクロームが途切れ途切れに呟く。おそらくは能力の使い過ぎで極端に疲弊しているのだろう。外傷はないが、本当なら喋らせない方がいい。だがこの状況ではそうもいかない。
「どういうことだ!?」
「ボス、なら……、銃、なんて、使わせない。指示が、行き届けば、たぶん……、追っ手、は、引き下がると、思う」
「ボス、だと……? お前たち、まさかボンゴレを敵に回したのか!?」
背筋をよくわからない汗が流れた。ボンゴレ十代目こと沢田綱吉には恩義があるのだ。それはクロームたちも同様だと思っていたのに。
「違う。先、に。ボスが、私たち、を、敵に回、し、たの」
「大して変わらん!」
「全然、違う。悪い、ことを、したのは……、あっち、だもの。私たちは、ただ……、骸様を、助け、た、だけ」
胃の奥深くに引っ掛かる物言いだった。バックミラー越しに後部座席を見れば、間に挟んだ小さな子供を己の身体で包み護る、犬と千種の姿があった。手当てをする暇さえなかったのか、その肩や腹からは今も血が流れている。おそらく銃創だ。せめて止血をと思うが、付き合いの長いオレには察しがついた。こいつらはきっと、失血死してでもあの子供を離さないのだろう。不器用なやつらだと心底から思う。そしてだからこそ、見捨てることなど出来なかった。
――と、リアガラスの先、何か小さな物がちらついた。それは放物線を描いてこちらへと向かってくる。
「……っ、話は後で聞く! 全員頭を庇え!!」
その正体を確認する間もなく、車体をなだらかな崖に向けてアクセルを更に踏み込んだ。ふわ、と車体が一瞬浮いたが、すぐに地につき半ばずり落ちながらも斜めに駆け抜ける。
「っ!!」
直後、ついさっきまで走っていた場所で爆炎がのぼった。前後左右がわからなくなるような酷い衝撃が走り、まるで洗濯機の中に入れられたかのようだ。勢いに押された車体は宙を滑り、胃が浮き上がるような感覚が襲う。かと思えば次の瞬間には比較的平らな面に着地していた。
「っぐ……!」「うべっ!!」「きゃっ」「……うっ!」
ばぎゃん、と足下から何かが砕ける音がした。衝撃も凄まじい。強制ジェットコースターを楽しむ余裕などないまま、オレたちは先程までいた山道よりもひとつ下の山道を走っていた。――もとい、瀕死のコッチネッラが奇跡的に走り続けてくれた、と言うべきだろう。
「クローム、追っ手は!?」
「……来ないわ。諦めた、みたい。もしくは、ボスの、命令……が、行き届いた、か……」
「…………そうか」
もやもやと頭の中を酷い霞が渦巻く。ボンゴレが敵であるという前提での思考に、どうしても抵抗を抱いてしまう。少し頭痛がした。
「まったく……。どうせ帰るのなら、もう少し早くしてほしかったな。おかげでオレのコッチネッラは廃車確定だ」
無意識のうちに別の方向に話を逃がしたのは、自分の中で考えをまとめたかったからだろう。ボンゴレが、クロームたちを追う理由。それはきっと、ひとつしかない。
「ごめん……。弁償、するから」
「別に構わないさ。お前たちを守りきったんだ、名誉の戦死というヤツだろう。――それより、だ」
苦しそうな顔をするクロームから視線を外し、直線道路を走りながらも後ろを振り返る。
「……不思議なもんだ」
犬と千種の腕の中で、小さな身体がびくりと震えるのが見えた。青みがかった髪、見間違えようのない蒼の瞳と――紅の瞳。深い色を宿すそれを覗き込んだなら、きっと六の文字が見えるのだろう。
「お前、骸だろう? 邪気がなさ過ぎて逆に不気味だな」
確信を持って問えば、その子供は僅かに首を竦めたように見えた。ぐ、と犬と千種の袖を掴み引き寄せる様は、どんな見方をしてもそこらにいる普通の子供が怯えているようにしか見えない。こいつは本当に骸なのかと疑念が湧いた。
「おい、クローム?」
「ごめんなさ、い。私……にも、よく、わからない、の。ただ、夢の中で……助けを、求められ、た、だけで。何がどうなって、こう、なってい、る……のかは、わからない」
「でも、骸さんら……!」
犬の上擦った声が割り込んだ。
「間違いっ、なく、骸さんら! ぐ……、む、骸さん……帰って来て、くれたんら……!」
「っ、っ……?」
ぼろぼろと大人げなく大粒の涙を零し、犬は子供を抱き潰す勢いで腕に閉じ込めた。その拍子にボタリと落ちた血も、大粒だった。
「骸さんッ、骸さんれすよね!? おっ、俺っ、骸さんが、死んだ……っ、なんて! 信じらんなくて! ずっと、わけわかんなくて……!」
「おい犬、じっとしてろ! 傷が――」
「なんか変だったんら! 骸さんがいないと、俺らはダメなんら! 俺らには骸さんが必要なんれす!! もう、どこにもいかないで……!!」
「? !?」
制止も聞かず、犬は存在を確かめるように何度も何度も子供をかき抱く。血まみれのまま顔を押し付けてくる犬に対し、子供は少し苦しそうにしながら戸惑いの表情を浮かべていた。そこに犬に対する怯えはないようだが、肌で直に感じる熱い血に動揺しているようだ。
「待て、犬。……骸様? 何か、返事をなさってください」
千種の方は犬より冷静らしい。傷もよく見れば千種の方が軽傷だ。いや。まだマシ、と言うべきか。それでも千種の眼鏡の奥には不安そうな光が見えた。もちろん、自分たちの状態に対する不安などではないだろう。千種もまた、骸の死を受け入れられなかった一人だったのだ。犬同様、この骸似の子供に対する思いは強いだろうことは容易く想像出来る。
「骸様。どうか、お返事を」
強引な口調ではないが、焦りがあるのか語尾が少し強い。
「…………っ」
子供は不自然に視線を彷徨わせ、歯を食いしばった。
「おい、千種」
オレはある可能性に行き着き、目配せで千種を制した。千種もまた同じ考えに至ったのだろう。ひとつ頷くと慎重に問う。
「骸様。ひょっとして、話せないのですか」
「…………、……」
子供は犬の腕の中で俯き、表情を隠しながらもこくりと首肯した。その様があまりにも申し訳なさそうで、益々骸らしさが薄らいだ。ひとつひとつの仕種に、まったく裏を感じないのだ。それは六道骸という人物を想像させる上で大きな壁となる。だが、肉の形だけならともかく、右目までを他人の空似と言い切るのはいくらなんでも難しい。
「何か、雰囲気がお変わりになったようで……――いえ、責めているわけではないのです」
常に無表情を通す顔が冷たく感じさせるのを知っている千種は、少しでも雰囲気を和らげようとおかしな筋肉を使ったようだった。目許がミリ単位で動き、ごくごく僅かながらも微笑めいた空気をまとう。
「あなたが生まれて来てくださっただけで、それだけで良いのですから」
「……?」
犬の腕の上から千種にも抱きしめられ、骸似の子供は困惑しつつもほんのりと頬を赤らめた。明らかに骸ではないだろうな、この反応は。
「いろいろ考えることが多そうだ。詳しいことはどこかで落ち着いてからにしろ。――クローム、前の開きに毛布が積んである。それをそいつにかけてやるといい。そんな薄着では寒いだろう」
「うん」
「犬、足元のボックスに水がある。飲ませてやれ」
「わかったびょん」
「千種、助手席の下に救急箱がある。犬の止血だけでも済ませろ」
「ああ」
三人は指示通りに動く。子供は毛布にくるまりながらも犬と千種の腕を放さず、そのままでペットボトルの水をこくこくと飲んでいた。もっとも危ぶまれた犬の状態は、さすが犬と評価すべきか、止血以上の手当てが必要なようには見えなかった。
「さて、これからのことだが。どこかあてがあるなら案内してくれ。ないならオレのアパートに行く」
「あてはない。俺たちのアジトはボンゴレにすべて把握されている」
「なら、とりあえずはオレのアパートだな。越したばかりでボンゴレにはまだ知らせていない。まあ、店ともども早々に引き払うことになるが」
「……すまない」
この返答には少し驚いた。千種が骸以外に謝罪するなど、珍しいどころか初めてではないか。それだけ今の状況が千種に与えた衝撃は大きかったのだろう。何かが劇的に変わり始めている――そんな気がした。
「気にするな。大したことはない。そんなことより、少し寝ておくといい。まだ街までは時間がかかる。それに、街についても休む暇などないだろうからな。今のうちに体力を回復しておけ」
「……ああ」
「ありがと、ランチア」
「いつか借りは返すかんな」
千種は頷き、クロームは礼を言い、犬はそっぽを向く。変わらないところは変わらないようだ。
――と、じっとこちらを見る視線に気付いた。
「どうした? お前も疲れただろう。遠慮せずに寝ていいんだぞ」
「っ……」
骸似の子供はびくりと肩を揺らした。こちらを見ていたのがバレていたことに驚いたのだろうか。子供は気まずげに顔をそむけ、けれどちらちらとオレを見てくる。なんなんだ、一体。
「……まだ寒いなら、オレの上着をやるが」
適当な予想を立てて上着を脱ごうとするが、子供は「っ! っ!!」とぷるぷると首を横に振った。――違ったか。
「なら、どこか痛いのか? それとも……ああ、酔ったか?」
これにもまた子供は首を横に振った。他に何かあるか?
「腹が減ったのか?」
「…………」
「まだ水が欲しいのか?」
「…………」
「……恐いのか?」
「…………」
子供はすべてに首を振った。どれも否らしい。となると、オレの馬鹿な頭では他に思いつかない。
「悪いな、オレにはわからない。どうしたいんだ?」
「……、……」
子供はためらうように俯いた。そうして犬と千種の腕を抱き直し、意味ありげな視線を送ってくる。探るようにも、期待するようにも、――甘えるようにも、見えた。
「……お前は、あいつに似ているようで、似ていないな」
ああ、複雑な気分だ。
後ろからと頭上からとで差はあるものの、過去とまったく同じ視線が絡む。あれから一年が経って、ランチアは骸似の子供――骸の考えることをある程度感じられるようになっていた。今ならわかる。あの時、骸はランチアに父性を見ていたのだろう。
「……チアパパだなんて、妙に穏やかな呼び名は似合わないけどな。まあ……、なんだ。その……、呼ばれて嫌な感じはしないさ」
少しばかり照れ臭く思いながらも、ランチアは頭上の骸の頬を撫でた。途端、
「〜〜っ!!」
骸はふにゃりと表情を崩した。寂しがり屋の猫か何かのようにべったりとランチアの頭に貼り付いて、今にも喉を鳴らしそうなほど頬をごしごしと擦り付ける。
「お、おい!」
ただでさえバランスの崩れやすい肩車だというのに視界まで奪われて、少々危ない。さすがのランチアも首を振って抵抗を見せた。
「よせっ、前が見えん!」
「! っ! ッ!」
対する骸はイヤイヤとしがみつき、なおもランチアに擦り寄る。もはやマーキングに近い動きだった。
「やめろ骸! バ、バランスが――」
その時。
ぼべちゃっ!
「――ッ!!」
「………………………………おい」
嫌な音と、顔面に濡れた何かが落ちた感触。きめ細かなクリーム状のものが瞼の上を覆っているため、ランチアは目を開けることが出来ない。けれど、わかる。さすがに、わかってしまう。ランチアはぷるぷると怒りと虚しさとに打ち震えた。
「っ、〜〜っ! っ!! ッ!!」
動くに動けずどうにも出来ないランチアの頭上では、骸が大混乱極まれりとばかりにじたばたしていた。声こそないものの、その慌てぶりは凄まじい。
「――!」
しかしすぐにハッとして、その小さな手で一生懸命にランチアの顔を拭い始めた。細い指が瞼の上を滑れば、大きな塊が重たい音と共に落ちる。
「まったく……」
自然、柔らかなため息が出た。
「とりあえず、必死になってもらえるくらいには慕われている、かな」
呟いて、ランチアは奮闘する骸を乗せたままクロームたちの待つ席へと向かった。
その表情は、どこか暖かかった。
ちょっとだけ過去の事件について触れた回でした〜。
ランチアさんの視点だとこれくらいしか書けませんが、ツナとクロームの視点がだと全部語れるかなぁ……といったかんじです。
あ、そういえば全然ツナを出してないですね(笑)
今のところ、次の次の回くらいで出す予定です。
2009.11.13
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