04.
「料理長、骸と同じ菓子をひとつ追加だ。あと、コーヒーをひとつ」
ランチアは軽く腰を屈めながら注文を告げた。そうでもしないとカウンターの上に暖簾のようにぶらさげられたメニューが邪魔なのだ。
「おお、あんたか!」
厨房の中でステーキ――おそらく犬の注文したものだろう――を調理していた料理長が振り返り、「あいよー!」と威勢のいい返事を返す。そのままフライパンに向き直るかと思えば、ランチアの頭上からひょっこり顔を出した骸に気付き、カウンターの方へ歩み寄ってきた。
「なんだ坊主、いきなりでっかくなっちまったじゃねぇか! ランチアパパの肩は楽しいか?」
「っ! っ!」
ははっ、と快活に笑う料理長は上機嫌で、対する骸もランチアの肩の上でこくこくと過剰なほどに頷いた。ただ、その下のランチアは振動に揺さぶられながら複雑そうな表情を作っていた。
「料理長、アンタまでそんな呼び方か……」
「ん? ああ、そういえばミルフィオーレのドンもそんなふうに呼んでるんだったな。確か『チアパパ』だったか。いやいや、ぴったりの呼び名だと思うぜ? 誰がどう見たって、今のお前さんは坊主のパパさ!」
「……結婚もしてないんだが」
「今時片親での子育てなんざ珍しくもねぇって!」
「いや、そういう問題じゃ――」
「おっと悪い、肉がそろそろだ」
じゅうぅ、とおいしそうな音に呼ばれて、料理長はさっさとフライパンの元に戻り、明らかにまだ赤い肉を火からおろした。犬はレアどころか生肉が好きなくらいの偏食家なので、これくらいが丁度いいのだろう。白地のシンプルな皿に盛れば、血を薄めたような肉汁が水たまりのように広がる。犬の野菜嫌いは料理長のよく知るところだったので、定番のニンジンのグラッセなどの付け合わせは一切なく、特製のデミグラスソースをかけるだけだ。見た感じ、とてもワイルドな仕上がりである。
「おお、こっちもだな」
ランチアからは料理長のふくよかな身体に隠されて見えなかったが、ステーキの隣のフライパンにはたっぷりと盛り上がった野菜炒めが覗いていた。料理長はふんふんと鼻歌まじりにそれを軽く揺すり、手際良く皿に盛る。
弁解の機会が一向に来ないので、ランチアは焦れたように口を開いた。
「料理長、そんな問題じゃなくてだな、つまりオレは、」
チンっ!
「おお、坊主のフォンダンショコラも焼けたぞ」
「あ、おい……」
料理長はそそくさと厨房の奥のオーブンに向かってしまった。
「うん、いい感じだな。さっすがオレ!」
立派なオーブンからは、一気に焼いたらしいチョコレート色の塊がたくさん並んだ天板が引っ張り出された。戸を開けた途端に香る甘く高貴な香りはそれだけで垂涎ものだ。量もあるので、追加で焼かなくともクロームの分は確保出来そうだ。料理長はそれをひとつずつ皿に盛り、粉砂糖をさらさらと振るう。荒くれ者の風情が強い彼だが、意外にもその手つきは丁寧だ。雪化粧を施したフォンダンショコラの隣には、これでもかというほどの大量の生クリームを絞る。少しゆるめの泡立てなのか、うねうねととぐろを巻くように絞ったものはすぐにもったりと落ち着いて、丸く滑らかな表面を見せた。
料理長は盛りつけ終わった二皿をカウンターの方に運びながら、途中いつの間にかセットしていたらしいサイフォンからランチアの分のコーヒーを注ぐ。流れるようにそれらを運び、料理長はようやくランチアの前に帰って来た。
「おう、悪い悪い。んで、なんだって?」
カウンターにステーキと野菜炒めとコーヒー、フォンダンショコラをのせながら、ランチアの顔を見上げる。
「……いや、なんでもない」
ここまでタイミングを外すとさすがに弁解するのも面倒になって、ランチアは苦笑を浮かべた。別に、悪い気はしないのだ。ランチアにとって、頭上で鼻をひくひくさせている骸はとても可愛い子供だった。これが父性というものか、この小さな身体を護ってやりたいと思うし、自分を投げ打ってでも幸せにしてやりたいと思う。かつての骸の面影は時に暗い記憶を呼び覚ますが、それも全身で甘えてくる子供を前にしてしまうと途端にチョコレートのように融けてしまう。幸せになる権利などとうに失くしたはずなのに、どうしようもなく幸せを感じてしまうのだ。
「ほら骸、自分の分は自分で持て。こぼすなよ?」
意図せず柔らかな声音になりながら、ランチアは頭上にフォンダンショコラの皿を掲げた。
「……………………、」
骸はじぃっと皿を見つめ、ゆっくりゆっくりと受け取った。瞳がキラリと光った気がする。
「……こぼすな。本気でこぼすな。どれだけイタズラ心が疼いても絶対にこぼすな! オレはクリームまみれになるのは御免だ!」
長い沈黙に何を感じ取ったのか、ランチアは盛んに骸を牽制した。じんわりと首裏に汗が滲んでいた。
ちっ。
頭上から微かな舌打ち。
「舌打ちするんじゃない!! まったく、油断も隙もない……!」
どうやら骸はたっぷりと盛られた生クリームに何かしらの衝動を覚えていたようで、それを敏感に察知したランチアが先手を打った――という構図らしい。言葉を話せない骸とここまで意思疎通が可能な人間は、実のところごく僅かしかいない。それから、骸を叱ることが出来る人間も。
「ははっ、そういうところもパパっぽいってんだよ。犬たちやなんかは甘やかしてばっかりで叱りやしない。獄寺あたりは飴とムチがきちんとしてるが、いかんせんまだ若いからな。消去法を使っても使わなくても、結局坊主のパパはお前さんさ。頑張れよ、チアパパ」
「……複雑な心境だよ、オレは」
「まあそう言いなさんな! それに、ここだけの話……」
料理長は急に声のトーンを落とし、カウンターに身を乗り出した。
「わかってると思うが、坊主にはまだまだ敵が多いぞ。一年も経ってるってのにな。まあ立場が立場だ、仕方がないのかもしれん。……だからこそ、味方を見誤るなよ。クローム嬢ちゃんたちは自分たちだけで坊主を守ろうとしてるが、マフィアなんて因果な世界に足を踏み入れちまってる以上、そんなことは不可能だ。だからこそ、オトナのお前さんが敵味方を判断しなくちゃならねぇ。メイドの連中もそうだが、オレたちはお前さんを頼りにしているよ。坊主の将来をきちんと考えてんのは、あんただ」
思いのほか真剣な声音だった。ランチアを真っ直ぐに見つめるブルーグレイの瞳には、曇りがない。
「あんた……」
「ま、そういうこった。壁役が欲しけりゃいつでも言いな。いざってときゃ、オレたち非戦闘員一同、日頃肥やした脂肪でもって坊主の盾になってやるさ」
料理長は肉付きの良過ぎる腹をぼすぼすと叩いてみせた。
「ふ……、そうか」
「……?」
チョコレートの香りに夢中になっていた骸が不思議そうにランチアの顔を覗き込む。
「なんでもないさ、骸」
「おお、悪いな坊主。難しい話をしちまった。ほれ、クローム嬢ちゃんの分もお前が持ってやれ。しっかりな」
「っ!」
骸はクロームの分の皿も受け取り、より濃厚になった香りにうっとりとした。
「ほれ、あんたのコーヒーとブラコン二人のメシだ。あいつらの面倒もしっかり見てやんな、チアパパ」
「……ふ、随分重みのある『パパ』だ」
ランチアは照れくさそうに笑い、トレイにのったそれを受け取った。
「よしっ、その意気だ! じゃ、またなんかあったら呼びな!」
ガハハハ、と大胆に笑って、料理長は厨房の奥に引っ込んだ。
「……? ?」
香りに惑わされて話に着いていけなかった骸は首を傾げた。揺れで骸の疑問を察し、ランチアは少しだけ顔を上向かせる。
「料理長が言うには、オレはお前の父親みたいなものだそうだよ。妙な太鼓判を押された」
「…………」
骸はぴたりと動くのをやめ、顔を俯かせてランチアと視線を合わせた。じぃっと、紅い瞳と蒼い瞳とがごく僅かな距離を開けてランチアの奥深くを見つめていた。探るような、期待するような、甘えるような――。
(そういえば、前にもこんな風な目で見られたことがあったっけな)
ランチアはふ、と柔らかく笑んだ。
ご存知の方はご存知ですが、前回(03話)のあとがき、間違えて04話のつもりで書いちゃってたんです。
その節は本当に申し訳ありませんでした。
で。
『チアパパ』はこの回で発表(?)するはずでした……。
いや、大したことじゃないんですけどね。
でもやっぱりこう、微々たるインパクトではあっても、やっぱり差が……ね。ホントにすいませんんんんん!!!!!
次から気をつけますんでお許しくださいませ。
でもって本編のことですが、白蘭とランチアさんはちょっとした繋がりがあったりします。
そこらへんはもう数話後で語れると思います。
ではでは!
2009.10.20
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