00.




 大罪人、六道骸。

 ボンゴレ霧の守護者にして異端者である彼が人知れず亡くなってから、七年。
 やり切れない感情を発散するようにがむしゃらに勢力を伸ばしていたボンゴレファミリーは、ある敵対ファミリーの本拠地で有り得ない光景と対面することになった。

 それが、今から約一年前の話――。






「骸ー。骸ー?」
 きょろきょろと辺りを見回して、更には点々と配置してある観葉植物の陰をひとつひとつ確認して、もうすっかり青年と呼べる年齢に達している綱吉はご機嫌な様子で屋敷内を練り歩いていた。
「ん……?」ぴん、とアンテナめいた何かが頭の中で反応を見せる。
「ここかな〜?」
 超直感と呼ばれるその感覚にも慣れたもので、綱吉は確信をもってとある一室の扉を開いた。
「…………」
 そこは数ある会議室の中でも一番狭い――それでも数十人は入れる――部屋で、シンプルな木製の円卓と飾り気のない椅子が八つ、部屋の真ん中に無造作に配置してあった。昼下がりの陽光と爽やかな風をたっぷりと取り入れる大きな窓には、当然のように防弾ガラスがはまっている。それでも透明度は普通のガラスと変わらないため、高く枝を広げた広葉樹が揺れるのが美しく見えていた。更に、部屋の四隅にはよく手入れされたパキラの鉢植えが置いてあり、全体として緑の多い安らかな空間と言えるだろう。
「んー……」
 顎に手をやって悩むそぶりをしつつも、綱吉の確信はしっかりとしたもので、かつかつと革靴を響かせ部屋の一角のパキラに歩み寄る。
「見ぃつけた!」
 でやっ、と妙な掛け声と同時、綱吉は両腕を鉢植えに突っ込んだ。
「っ!」
 息を呑むようなヒュッ、という空気音がして、綱吉の手には植物にあるまじき柔らかい感触があたった。迷いなく掴んだそれを遠慮なく持ち上げれば、緑の美しかったパキラはいつの間にか小さな子供に変化していた。
「ははっ、骸確保ー!」
 陽気に笑う綱吉の手の中で、小さな子供は悔しそうに眉根を寄せている。窓からそよぐ風に揺れる髪は不思議な藍色で、きっちりギザギザを作る分け目は毎朝のセットが大変そうに見える。それでいて後頭部の髪は自由に跳ねているのだから、単にくせっ毛なのかもしれないが。上は深い緑色と鮮やかな若芽色のチェック模様の入ったシャツに灰色のベスト、下はベストよりも濃い灰色のハーフパンツ姿で、質のいい生地を使っているのが一目でわかり、目鼻立ちの整った顔と相俟って良家のお坊ちゃんを思わせる。年齢は確実に十には満たないだろう。むしろ四捨五入すればやっと届くかもしれない、といったくらいに幼い。身長も綱吉の胸より少し低いくらいだ。
 そこまでは、ごく普通の子供だった。
 しかし普通を逸脱する部位が、ひとつ。
「っ、っ!」
 じたばたと暴れる子供――骸の瞳は、左はイタリアの血筋らしい深い海のサファイアブルーだが、右はルビーのような紅だった。加えて、紅玉の中に浮かぶ『六』の文字。ボンゴレファミリーに属する者にとっては見慣れたものだが、それ以外からすれば禍々しさを感じる瞳だろう。綱吉にとっては、渇きを覚えるほどに愛しい瞳だった。
「わかったわかった、わかったってば! 今おろすから、そう暴れるなよ」
 おどけた言葉に心を隠し、綱吉はほら、と骸の足を床につける。
「っ――」
 次いで手を放した途端、骸の姿は霧に紛れるようにして空間に融け始める。
「ちょっ、またかよ!?」
 綱吉は慌てて骸を放したあたりで両手をぶんぶんと振るが、ただ虚しく空気を掻いただけだった。
「骸! 俺そろそろ出張で会議行かないといけないから、もう付き合えないよ! また後で遊んでやるから、出て来てくれ!」
 綱吉は困り顔を隠しもせず、忙しなく室内を見渡した。――骸の姿は見えない。
「なあ、骸ってば!」
 少し強めに発すれば、一秒もしないうちにクンっとスーツの裾が引っ張られた。
「わっ、とと……っ」
 予想外に力が込められていたせいで、綱吉は数歩たたらを踏む羽目になった。骸は年齢の割に力が強いのだ。去り行く誰かを引き止める時などは、特に。
「…………」
 いつの間にか綱吉のすぐ後ろにぴったりと張り付いていた骸は、無言のまま綱吉の腰のあたりにしがみつく。その腕には徐々に力が篭り、少し痛いくらいだった。上体をひねるようにして背後を見れば、小さな身体が行かないでと懸命にアピールしていた。
 罪悪感のようなもやもやとした気持ちを抱いて、綱吉は薄くため息をつく。本当はこの幼い子供を猫の子を可愛がるようにべろべろに甘やかしてやりたいのだ。今すぐ頭をぐしゃぐしゃになるまで撫でてやって、ふっくらとした頬にキスをしてやって――。
 身に余るほどの責務は、それを許してくれない。
「ごめんな、骸。今日は特別大事な会議なんだよ。マフィアのトップなんてやってるボンゴレが遅刻なんかで評判落とすわけにはいかないだろ? 賢い骸なら、わかるはずだ」
「…………」
 骸は頷くこともせず、腕に更に力を込める。ぎち、とどちらのものともつかぬ身体の悲鳴が鈍く体内を反響する。痛みに思わず眉をしかめるが、綱吉はそれでも骸を拒絶するようなことだけはしなかった。この長いようで短かった一年で、この子供について学んだことは多い。
「っ、大丈夫、だよ。夜までには帰って、一緒に、ご飯食べられるようにするから。だからほら、な? いい子だから、放してくれ」
「…………っ」
 小さな手が綱吉の手を強く引いた。

 ガリ!

「あだぁッ!?」
 右手の甲を思い切り噛まれて、綱吉は鋭い悲鳴を上げた。それで満足したのか、骸は呆気なく綱吉から身体を離し、数歩後ずさる。瞳に悲しみとも怒りともつかない炎を宿して、強く強く綱吉を睨みつけていた。
「いったた……ご、ゴメンて! でも、今回ばかりはダメなんだよっ。今日の会議次第では、骸みたいに幼い子供たちがたくさん不幸になっちゃうかもしれないんだ。だから、出来るだけ早く解決しないと――」
 言っている途中で、骸の周囲に再び霧が漂い始める。
「ちょ、コラっ! 話は最後まで……!」
 そうして骸の姿は霧に紛れるようにして消え、気配も霞むようになくなってしまった。完全に逃げられてしまったらしい。
「……ああもうっ」
 うまくいかない苛立ちと手の甲のじんじんする痛みとで、綱吉は頭を乱暴に掻き回した。
 こういうことはそう珍しくない。骸はよく綱吉を試すかのように唐突にかくれんぼを始め、見つかっては逃げ、見つかっては逃げを繰り返し、綱吉が仕事に戻らねばならないと言えばふて腐れてどこかへ行ってしまう。しかも大抵最後には何かしら綱吉に傷を残すものだから、いつしかマフィアの間ではドン・ボンゴレには気性の荒い愛人がいる――なんて生々しい噂が立っていた。マフィアのボスたるもの愛人の一人や二人は囲って当たり前という風潮はあるものの、やはり綱吉としては複雑だ。かと言って、養い子に噛み付かれたなんて情けない事実を話すわけにもいかないので、噂ばかりが独り歩きを続けることになる。いわく、敵対ファミリーの豪傑娘を無理矢理寝取っただの、見目麗しい娘を差し出せば同盟交渉に応じるだの、綱吉の評判は皮肉にもマフィアらしいものだった。真相を知るボンゴレ関係者からすれば、ひどく馬鹿馬鹿しい話だ。
(ほんっと、うまくいかないなぁ……)
 綱吉は誰もいないことを良いことに、肺の中身をすべて吐き出すようにして深々とため息をついた。
 小さな骸を引き取って、一年。
 骸は綱吉に懐いているような懐いていないような、なんとも言えない宙ぶらりんな状態だった。時に噛み付かれ、時に抱きつかれ、時に引っ掻かれ、時にすり寄られ、時には本気で刺されかけた綱吉には、はっきりどちらと断言することは出来ない。綱吉自身は骸が可愛くて可愛くて仕方がないくらいなのだが、少なくともそれと同量の愛情を返されたことはなかった。とても寂しい事実だ。それでも、綱吉はそれを受け入れるしかない。
 一年前。綱吉は大きな間違いを犯した。その出来事は決定的なまでに骸の心に影を落とし、綱吉にとっては今に至るまで続く長い責め苦の始まりとなった。罪があるから、罰がある。綱吉は自身の罪を重く受け止め、償いの道を探していた。
(……とにかく、会議に行かないと。早く行って早く終わらせて骸とご飯食べて。少し近寄れたら、いいな)
 小さな小さな、豆粒みたいにちっぽけな願望を胸に、マフィア界を二分する巨大ファミリーのボスたる綱吉は手に噛み痕をつけたまま廊下を駆けた。

 こうしてまた噂が広がるということに、綱吉は気付いていなかった。





















2009.10.8




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