冷たい任務




 ボンゴレ本部、城塞のようなアジトのだだっ広い一室で、ツナは書類の山と格闘していた。

 コンコン
「ボス?」

 ふと響いたノック音と、マフィアとは縁遠い鈴の音のような声。
「どうぞ」
 誰だか聞かずともすぐにわかる。守護者の紅一点、クローム髑髏だ。
 軋むような重々しい音とともに、深い色のドアが開かれる。女の力に優しくないそれの隙間から、するりとクロームが入って来た。
「よく来てくれたね」
「ボス、何か用?」
 こつこつと小さな足音を立ててツナの座るデスクに近寄る。クロームがここに呼ばれることは少なかった。争いごとは他の守護者に任せればいいし、何より彼女ーーーいや、彼にあまり頼るべきではない。
「さっそくで悪いんだけど、代わってくれるかい」
 ツナがそう言うと、クロームは頷き、目を閉じる。まるで内なる者に語りかけるように。

「ーーークフフ、お久しぶりですねぇ、ボンゴレ」

 部屋の空気が変わる。何か言いようのない歪みのような、不自然なものが充満して息苦しさすら感じる。昔はこの気配を感じるだけで震えたものだ。最悪の出会い方をしてから早10年。さすがにもう震えることはなくなったが、未だにあの可憐な少女(もう女性と言った方がいいかもしれない)がこの男に変わる瞬間だけは慣れなかった。
「クロームには言えないような依頼ですか」
 六道骸。遥か遠く、深い闇の中に幽閉されながら、今もクロームと共に在り続ける男。
「ーーーこれを」
 ツナが差し出したのは1枚の写真と、住所などが書かれた紙きれ1枚だった。写真には男と女、その間に10歳に満たない少年が眩しい笑みを浮かべていた。骸に一般的な家族の概念はないが、彼らが家族であろうことはよくわかった。
「それで、どれを殺せと?」
 骸はにべもなく尋ねる。その様子をツナは悲しいような哀れむような目で見た。
 骸がここに呼ばれるということは、暗殺任務だということ。他の守護者に頼めない汚れ仕事だということ。こういうときに『どうして』などと一切聞いてこないのは、骸しかいない。
「その男」
 写真の中で笑う、良き夫・良き父の典型のような男は、敵対マフィアのスパイだった。現在獄寺が鎮圧に向かっているマフィアにボンゴレの情報を流していた張本人。その人懐っこい人柄が潜入を容易にしていたのかと思うと、どうしても腹の底に溜まるもんがある。
「了解しました。これはお返ししますよ」
 遺影用にでもどうぞ、と写真をツナに返す。
「それといつものことですが、犬と千種にはーーー」
「わかってるよ」
 骸は犬と千種に暗殺を手伝わせることは決してしなかった。身体を借りているクロームにすら任務の内容を教えていないようだ。
「彼らにはカジノの護衛任務あたりでいいだろ?」
 だからこういうとき、犬と千種には全く別の任務を与える。カジノの護衛にしても、基本的にボンゴレ傘下のカジノは平和で、荒事はせいぜいイカサマの吊り上げくらいだ。犬と千種の能力を考えれば失礼に当たりそうなほど簡単な仕事だったが、2人は文句一つ言わずに了承するだろう。たぶん、察しているのだ。
「ええ、それでいいです」
 では、と事務的な会話を終え、骸は目を閉じる。一瞬力が抜けたようにぐらつき、しかしすぐに足に力が戻り目を開ける。
「…お話、もういいの?」
 クロームに戻ったのだ。骸がクロームの身体を使えば使うだけ、彼女に負担が掛かる。彼女は骸の”家族”だ。犬と千種、それにクロームは、歪ではあるが骸にとって唯一安らげる”家族”。口では道具だ駒だなどと言いながら、その実とても大切にしているのがわかる。
「ああ、もう終わったよ」
 骸に身体を貸しているクロームには、ただ地名の記された紙だけしか渡されない。ツナとしても、彼女にはボンゴレの闇の部分に触れてほしくなかった。
「次はここに行けばいいの?」
「ああ。犬と千種は別の仕事があるから行けないけど、頼んだよ」
「うん。行ってきます」










 イタリア東部。湖畔に佇むレンガ造りの洋館。夕日でよりいっそう赤く染まるそれは、時に人を掻き立てる。
「まるで血みたいですね」
 クフフ、とクロームの姿をした骸は笑う。
「な、何がおかしい!!」
 相対する男は、確かに写真に写っていた男だが、人懐っこい笑みの片鱗もない、引き攣った恐怖の色を浮かべている。その手には護身用の銃。震えながらも真っ直ぐに骸に向けられていた。
「いい家だ、と言ったんですよ。ボンゴレを売った金で建てたことはある、とね」
 びくっ、とあからさまに銃身がぶれる。
「お前は何なんだ!! ボンゴレの回し者か!?」
 カタカタと音が聞こえそうなほど怯えた男は、その震えだけで引き金を引けそうに見える。

 じゃり…

「ーーーっ!?」
 ふと背後から聞こえた音に、男は銃ごと反射的に振り返る。
「パパ…」
 引き金を引きかけた指を懸命に抑えた。逃がしたはずの最愛の息子の姿に、焦りと動揺が汗となって滲み出る。
「トニー、どうして…っ!? くそっ!」
 素早く息子を骸から隠すように庇った。それは先程までの怯えた男ではなく、紛れも無く父の姿だった。


「パパ、

 ーーーごめんね?」


 ぱんっ乾いた音とともに、男の左胸に赤い点ができる。徐々に大きくなるそれは、夕日に照らされてきらきらと輝いた。
「ト、ニー…?」
 男は最後に愛する息子を視界に入れ、気づいた。息子の青かった右目が、空のようだと喜んだ目が、血のような真紅に染まっていたのを。そして紅を脳裏に焼き付けたまま、その視界は永遠の黒に塗り潰された。
「クフフ。息子に何の疑いも持たず背を向けるとは」
 硝煙が薄くのぼる銃を手に、トニーは低く嗤った。その赤い右目には六の文字。
 その小さな身体が傾ぎ、父親の血に濡れた大地に倒れる。
「そんな甘さでよく間者などやったものですね」
 少年の身体で言った言葉の続きを、クロームの高い声で紡ぐ。クフフ、と嗤うと踵を返し歩き出した。死体のある場所でクロームに身体を返すわけにはいかない。
 と、その時ーーー

 パンッ!

「っ!」

 反射的に身体をひねった骸の顔ーーークロームの頬を何かが掠めた。遅れて一筋の赤いラインが引かれ、その端から玉になって血が滴る。
「これはこれは…油断しましたね」
 父親の血に汚れた顔で、トニーが骸を睨み付けていた。その手には父親を撃った銃。
「はぁっ、はぁっ…パパのっ、パパの仇っ!!」
「なるほど、いい度胸です。腐ってもマフィアの息子ということですか」
 骸は低く嗤う。
「ですが…クロームを傷付けた罪は重いですよ?」
 骸は手にした三叉槍を振りかぶり、真っ直ぐに少年の頭に振り下ろした。

 がきぃ…ん

 長い余韻を残し、三叉槍が何かに阻まれる。華奢な右腕はいつの間にか大きな手に掴まれていた。

「任務外の殺しは禁止事項だろ」

 三叉槍を受け止めたのは、日本刀ーーー時雨金時と言ったか。
「…邪魔をしないでくれますか、山本武」
 ボンゴレで日本刀を扱うのは、雨の守護者である山本武しかいない。
 緊張の糸が切れたのか、山本の背後で少年は意識を失った。
「正当防衛は禁止されてませんよ」
「こんなのは正当防衛じゃない! 年端もいかない子供じゃねーか!」
 ぎりぎり、と三叉槍が日本刀に押し返される。いかに骸と言えど、女の身体で成人男性の力に対抗することはできない。仕方なく三叉槍を引くが、右腕は依然として山本の左手に捕われたままだ。
「彼はクロームを撃ちました。直接僕が手を下したわけでもないのに、僕をーーーいえ、クロームを父親の仇と認識している。賢く危険な子です。それだけで十分な理由になると思いますが?」
「それでも、ツナはこんなことを望んではいないはずだ」
(全く、ボンゴレは誰も彼も甘過ぎるんですよ)
 骸は内心でため息をつく。
「はいはい、わかりましたから、その手を離してくれませんか」
 この白い腕にアザでも残ったらどうするんです、と山本を睨む。
「本当だな?」
「しつこいですね。本当ですよ、僕は手を出しません。約束します」
 その言葉に山本はようやく手を離した。

「「僕は、ですがね」」
 
 山本の前後から、同時に同じ言葉が発せられた。

 ぱぁんっ

「ーーー!!」

 もう慣れてしまったその音は、山本の背後から響いた。
 少年は頭から血を流し、父親に折り重なるように死んでいた。その手から、自らを撃った銃がこぼれる。

「骸! お前ーーー!!」
 激昂した山本が左手をクロームの襟元にのばす。が、
「おっと…」
 ひらりと骸は距離をとってかわした。
「これ以上アザを増やしたくはありませんのでね」
 クロームの身体を包み込むように霧が発生する。
「あぁ、一応感謝しておきますよ。あなたのおかげでクロームの手を汚さずにすみましたからね」
 クフフ、と高い声を残して完全に霧が骸の姿を隠す。

「Arrivederci」

 霧が急速に晴れていくと、そこに骸の姿のクロームの姿もなかった。

「本当にこれでいいのか、ツナ…」
 一人残された山本は、マフィアのボスを立派にこなす親友を想うしかなかった。










若干鬼畜気味な骸さんが書きたかったので。ドSな骸さんが大好きです、ハイ。

2008.4.1