017.鬼ごっこ
「クフフ。これは10秒くらい数えるべきですかねぇ」
のんびりとした口調で歩を止め、遠ざかる背中を見送る。骸の低い視線の先には、黒いスーツと白いTシャツ。40前くらいの黒ずくめの男が白い服に赤い斑点を滲ませた少年の手を引いて必死に走るのを、ただ獲物を見る冷たい目で見つめていた。
「10」
彼らにも聞こえるようにはっきりとカウントを始める。びくりとしてこちらを見た少年と目が合った。
「9」
まだ幼い。10歳かそこらだろう、アーモンドのようなくりくりとした目を恐怖に見開いて、今にも泣きだしそうだ。
「8」
その髪は蜂蜜を煮詰めたようなくすんだ金色をしていて、少しだけ――本当にわずかにだけ、彼を思わせた。
「7」
まるで彼を追い詰めているようだと思うと、ふるりと微かに肩が震える。
「6」
この感情は、“愉しい”だろうか。
「5」
それとも“嬉しい”?
「4」
なんでもいいから、もっと遊びたい。この素敵な時間がずっと続けばいいのに。
「3」
あぁでもあの男は邪魔だな。ファミリーを犠牲にしてでも我が子を護ろうと言うのは一見美しいが、その結果がこれというのは些かボスとして問題があるだろう。 ……彼とは違い過ぎる。
「2」
すでに屋敷の中は血の海だった。”具”がたくさん浮いているから、ミネストローネっぽくもあるかもしれない。そう言えば、少し空腹を感じる。彼の料理が食べたいけれど、残念ながら贅沢は言えない。遊び終わったらそこらの店でミネストローネでも食べようか。
「1」
ああ、ぞくぞくする。
「0……」
さぁ、愉しい鬼ごっこの始まりだ。
「おや、ここにもいませんか」
当てが外れちゃいました、と子供らしい笑顔で言う骸の手には、今も血を零す三叉剣が握られている。この屋敷にいる人間の血を吸い込んで、それはてらてらと輝いた。
「僕、かくれんぼは得意ですけど、あくまで隠れる側なんですよね。だから――」
ズガッ!!
振り向きざまに、側にあった豪奢なクローゼットに剣を突き立てた。ツタのような植物の彫刻が台無しになった。
甲高い悲鳴のような音を立ててクローゼットの扉が開くと、中には声すら上げられないほどに震える子供が小さくなって収まっていた。その頬には骸の剣が掠った証である一筋の赤い線が引かれている。見開かれた大きな瞳は、奇しくも彼と同じ琥珀色。
思わず笑みがこぼれた。もっとも、子供からすれば狂っているとしか思えないものだったが。
「ぁ……あぅ……あぁ……!」
「ねぇ、鬼ごっこをしましょうよ。子供らしく、愉しく……ね」
「息子から離れろぉぉぉぉああ!!」
突然の雄叫びは骸の背後からだった。
「まったく……」
繰り出されたナイフを難無くかわしながら三叉剣を無造作に振り払えば、
「あ゛ぁぅっ!?」
鈍い手応えと同時に鮮血が飛び散った。
「子供の遊びに大人が口を出すものではありませんよ」
ねぇ? と視線を戻せば、クローゼットの中で震えていたはずの子供の姿は忽然と消えていた。
「おやおや。思っていたより賢い子みたいですね。それに勇気もある」
感心したように呟く骸の傍らで、ファミリーのボスであり子供の父親である男は、かすかに、それでも確かに笑んで事切れた。その顔は自らの血に塗れていたけれど、それでも満足気だった。
「なるほど、良き父親気取りというわけですか?」
がっ、とその頭を踏みつけて、骸は眉間にわずかに皺を寄せた。
「そういうの嫌いなんですよね、僕」
ぐにぐにと嫌な音をさせながら、男の右目を踵で踏みにじる。あの子供の眼の色は父方の遺伝らしい。この男の眼もまた、彼を思わせる琥珀色だった。
ひどく気にくわない。
力を入れてぶちゃりと潰しても、その勝ち誇ったような笑みは消えなかった。
「……まぁいい。すぐに親子仲良く並べてあげますよ。家族はいつでも一緒がいいでしょう?」
その紅い目に禍々しい光を宿して、骸はゆったりと歩き始めた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、くっ……っ!」
何度目かもわからない足のもつれは疲労と焦りのせいもあるだろうが、何より足場が悪いせいだろう。そんなことは百も承知だけれど、どうしても足元を見るという行為はできなかった。
「はぁっ、父さん……みんな……! はぁっ、あっ!?」
びちゃん!
湿った水音を立てながら、赤で埋め尽くされた床に強く身体を打ち付けた。顔にもその飛沫が飛んで、むせ返るような鉄の臭いが鼻につく。
いやがおうにも赤黒い塊が目に入って強烈な吐き気が込み上げてきた。それがどんなに罪深いか、わかっていたのに。
「ほら、そんなのんびりしてていいんですか? もっと気合いを入れて逃げないと、すぐに捕まってしまいますよ」
背後からの声。
高く澄んだ声だ。
自分と同じ、子供の声。
だが、このどうしようもない違和感はなんだ。
アレは、何?
「ひっ、ふっ、く……!」
震える足を叱咤して立ち上がり、ひたすらに前へ前へと歩を進める。下を見ては駄目だ。転がる物体の正体を知ってしまったら、きっともう動けない。
「そうそう、その調子ですよ」
追う声はどこまでも愉しそうで、そしてそれは徐々に近付いていた。
「はぁっはぁっぜぃ……はっ、はぁっ」
自分の呼吸音が足音と水音を消すほどに大きく感じられた。自分の身体が自分のものではないようだ。
「はぁっ、はぁっ」
階段を2段飛ばしで駆け降りて、1階の廊下に出る。窓から素早く脱出するには身長が足りない。あちらも子供とは言え、そう言い切れない不気味さがある。安々と賭けに出るわけにはいかない。せめて裏口までは走らねば。
背後の気配が消えたことにも気付かず、少年はただひたすらに走り続けた。
「あっ――!」
見えた。廊下の先、庭に繋がる裏口がある。庭に出れば街まであと少しだ。あと少し、ほんの少しで逃げ切れる。この恐怖から逃れられる。
アレから、逃げ切れる。
ガッ ガチャガチャン
突進せんばかりの勢いで扉に縋り付き、ノブを回す。
ギィッ
「やっ――」
「クフ、捕まえた……」
「ぁ――っ!!」
目の前に逆さまの子供の顔が現れて、音にならない悲鳴が轟いた。
「知りませんでした? 鬼ごっこにゴールなんてないんですよ。でも範囲はある。だから屋敷外は反則」
諭すように言いながら、身軽な動きでくるりと回転しながら飛び降りた。骸がぶら下がっていたのは裏口の上に突き出た小さな屋根だった。
「やっ、やだ……!」
「決められた範囲内で遊ばないと、迎えに来た親御さんが心配しちゃいますからねぇ」
ほら、と手に持っていたボールのような物を掲げて見せる。
「ぁ、あぁぁぁぁああっやぁぁぁ!!!」
にこりと微笑む骸の顔に並ぶようにして、それは、いた。
右目の潰れた、首。
「父さんっ父さん父さん父さん父さんっ!!!」
「だから、お父様の目の届くところにいないとね。でもこうすればいつでもどこでも安心でしょう?」
髪を鷲掴んで、その頬を少年の頬になすりつける。右目の窪みから流れた血が少年の顔にいびつな化粧を施していった。
「ひっ、ぃぁぁ……!」
「どうして怯えるんです? 愛するお父様とずっと一緒にいられるんですよ? それって、とても素敵なことじゃないですか」
ぎちり、と骸の細い手が少年の首にかかる。
「本当、羨ましいくらいだ」
徐々に強くなる締め付けに、少年の口から呻き声が漏れる。
「僕だってジョットの側にいたいんですよ? なのに彼が拒むんです」
「……か……ふっ、ぐ……!」
「酷いと思いません? もう一度頭を撫でて、強く抱きしめてくれるだけで僕は満足なのに。彼の胸で圧死したっていいくらいなのに」
「……っ、……!」
「たったそれだけでいいのに。他には何も望まないのに」
「……ぁっ……」
「酷い。酷い酷い酷い酷い、酷いよ、父さん――」
ビュォッ
「っ!!」
突然の風切り音に骸が身を翻す。間髪入れずに薙ぎ払われた一閃を後ろに倒れるようにしてかわせば、視界に入ったのは銀色の輝きだった。
「……これはこれは、雨の守護者じゃないですか」
特徴的な侍装束に日本刀。そしてその身から噴き出す冷たい怒気。普段飄々としたところしか拝んだことがなかったので、骸は物珍しげに目を細めた。
「げほっ、が、ぐっごほっがふっ!」
咳き込む少年に、骸は哀れみの視線を送る。
「あぁ、あと少しでお父様の元へ行けたのにねぇ…」
可哀相に、という言葉は神速の袈裟斬りに阻まれた。
強く跳んで距離をとる。それでも突き刺すような剣気は一向に衰える気配がなかった。
「危ないですね。何をするんです?」
「それはこっちの台詞だ! 何をしてるんだ、お前は! こんな……、こんなことをして! 自分が何をしているのかわかってるのか!?」
いつも穏やかな雨の激昂に、骸は不思議そうに首を傾げた。
「何をそんなに怒ってるんですか。あぁ、また勝手に家出したから?」
「何を――」
「ねえ、ジョットは心配してくれていますか? 帰ったらまた謹慎だったりしたら嫌ですけど」
「おい、骸……」
「あぁでもジョットが作ったシュークリームは食べたいですね。中身はチョコレートがいいけれど、ハズレ付きでもいいですよ」
「骸!」
一向に噛み合ない話に、雨の表情が悲痛に歪む。
もう、戻れないというのか――。
「クフフ、どうせまた僕が勝ちますし、今度はジョットにハズレを食べさせてやらないと――」
「骸!!」
雨の叫びに、骸は理解できないというように首をもたげた。
「もういい。手足の一本や二本ぶった切ってでもお前を連れて帰る。お前のためにも、ジョットのためにも、それがきっと最善だ」
ちゃり、と金属音をさせて刀を水平に構えた。
「ほう? ねぇ、今帰ったら、ジョットは僕を叱ってくれると思いますか?」
「……あぁ、きっとな」
「――嘘」
ヒュゴッ
「何!?」
突如出現した火柱が雨の視界を閉ざす。
「気休めなんて要りません」
低音に変化した骸の声はすぐそばから聞こえた。
「くっ!!」
キィンっ
高い金属音を響かせて、刀と槍が拮抗する。槍を持つ手は大きく、続く身体も大人のそれだ。
「もしそうなら、彼のことだ、部下に止められようが閉じ込められようが構わず僕を迎えに来てくれたはずです。……なのに、彼は来なかった」
ぐぐ、と更に力がこもる。
雨も負けじと押し返すが、内心驚きを隠せなかった。
雨の知る骸は、小さく非力な子供なのだ。霧の守護者であろうが雲と張り合うほどの能力を持っていようが、根本は普通の子供と変わらない。そう、思っていた。
だが、これは何だ。
骸の右目に宿る暗い炎。この、言いようのない禍々しさは何だ。
普通ではなくても、それでも温かな時間を過ごしていたあの子は、どこへ行ってしまったのだ。
「まだ、駄目なんです。まだ、足りないんです」
骸がうわごとのように呟くと、その足元がめしりと軋んだ。
(まずい!)
直感のままに瞬時に跳び退る。目の前を巨大な氷の槍が貫いた。
「くっ……!」
たたらを踏んでなんとか体勢を崩すことは回避したものの、一瞬の隙に骸の長槍が迫っている。
ガキンっ
ぎりぎりで弾くが、そこは槍に有利な距離だ。続く連撃に防戦を強いられる。
「まだ、帰れないんです。まだ、届かないんです」
ヒュッ
「まだ、撫でてくれないんです。まだ、抱きしめてくれないんです」
ガッ キィン
「まだ、愛してくれないんです」
キキンッ
「……ジョットに会いたいのに……あの頃に戻りたいのに」
「骸……!」
小さな呟きは、迷子の子供のそれ。寂しさの溢れた悲しい叫びだった。
「……戻れるさ。いや、戻してみせる!」
雨の刀が一際強く骸の槍を弾く。
「だから――行くぜ! 時雨蒼燕流零の型、雨月!!」
「っ!?」
骸の目には、刀の閃きと流れる水のごとき流線が焼き付けられた。まるで夜空を切り裂く弧月のように。
それは残像を長く残すも、瞬きすら許さぬ合間の出来事で――。
そして、
ガギィィン
骸が反射的に突き出した槍に、今まで体験したことのない衝撃がはしる。有幻覚で大人の身体をとっているにも関わらず、その身体は木の葉のようにふわりと浮き上がり、壁に叩き付けられた。
「ぐ……!!」
それでも身を起こした骸は、しかし子供の姿に戻っていた。
「……まったく、酷いことをしますね。僕じゃなかったらばっさり、ですよ」
ゆらりと立ち上がるが、その小さな身体に目立った傷はない。雨が斬り裂いたのは幻覚。骸の能力によって具現化していた肉のない身体だ。有幻覚を一瞬早く幻覚に戻していた骸は、吹き飛ばされはしたものの刀によるダメージを受けてはいない。
「厄介な身体だな」
(だが、それだけで終わる技じゃないぜ)
「……!」
骸の身体が強張った。
身体が、動かない。
「……っ!?」
「そのちっこい身体じゃ、かわせはしても衝撃に耐えられないだろ。そのまま大人しくしてれば痛い思いはしなくて済む。本当は俺だって手荒なマネはしたくないんでな」
刀を構えたまま雨が骸に歩み寄る。
「ぅっ……く」
どうにか身体を動かそうとするものの、びりびりとした痺れが全身を駆け巡り、骸の自由を奪っていた。おそらくは衝撃波の類だろう。
(動けない……! ならば――)
「動きをっ、封じた、くらいで……いい気にならないで下さいよ!」
ズォッ
どこからともなく出現したのは、巨大な蓮の花。
「まだやる気かっ!?」
瞬時に刀を閃かせて蓮の花を寸断するも、斬った先から蔦が弾けて刀を押し返す。
「くそ!」
先ほどの技は微細な振動で相手の自由を奪う付加効果があったのだ。だがそれも長くは続かない。早くしないと骸の拘束が解けてしまう。そうなれば、互いに傷付け合う他ない。元より、互いに手を抜けるような相手ではないのだから。
次々と出現する蓮を斬り落としながら骸に接近しようと試みるが、隙間を埋めるように絶妙のタイミングで別の花が阻む。
これでは骸に近付けない。
「クフフ」
骸の身体から徐々に痺れが抜けてきて、手足の先の感覚が戻りかけていた。
(もう少し……!)
その時――
「うあああぁぁぁああ!!!」
「っ!?」
「何!?」
突如響いた甲高い雄叫びに、骸も雨も目を見開いた。
ドズッ!
「あ゛っ、ぐぁあっ!!」
苦悶の声を上げる骸の脇腹には、一本の小振りのナイフが突き立っていた。
「父さんの――みんなの仇だ!!」
奮える声で叫んだのは、この屋敷の主の息子。父親とファミリーを骸によって残酷に奪われた少年だった。
「ぐ、く……なるほど、マフィアの子は……ぅ……所詮、マフィアか……」
苦々しげに呻くが、傷は決して浅くない。早く手当てをしないと、いくら急所を外れているとはいえ危険だ。
「まったく忌ま忌ましい……!」
ぎしりと音がしそうなぎこちない動きで骸の手が腹に生やしたナイフに伸びる。
灼熱の痛みで痺れは消えていた。
「離れろ坊主!」
叫びながら雨が駆ける。
今しか、チャンスはない。
「うぉぉぉぉぉっ!!」
刀を振りかぶった。が、
ボシュッ
一瞬早く骸の身体を霧が包み、刀は虚しく白い霞を切り払った。
「また、いずれ……」
どこからともなく聞こえた声は、霧に紛れて消え去った。
ブラックでごめんなさい。グロ要素が当社比3割増しくらいですかね…。そして雨の守護者ファンの方々特にごめんなさい。技名の由来は上田秋成によって江戸時代後期に書かれた『雨月物語(うげつものがたり)』です。怪異小説だそうですが、管理人は読んだこともありません。ググってウィキっただけです。存在を初めて知りました。
語り出したら長くなりそうなのでここらへんで。memoの方で語るとします。
2008.5.7
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