12.ありがとうはチョコレートで。


「すいません、少しいいですか?」
「お? こりゃ珍しい。こんな朝っぱらから何の用ですかい、霧の方」
 鷲鼻の料理長――ダリエロは、野菜の数を数える手を止めて、珍客を迎えた。自分とは正反対の整った鼻梁、艶やかな黒髪、優雅な立ち居振る舞いは、ジョットからよく聞かされていた霧の守護者その人だろう。ジョットが慣れない料理に手を出した要因とも言える。
 実際に会うのは初めてだった。
「これから朝市に行きますよね? その時に買って来ていただきたいものがあるのですが」
「ああ、まだ謹慎中でしたな」
 ボスが危うい手つきでシューを焼いて中にいろいろ詰めるのを傍で見ていたダリエロは、その後の顛末も知っていた。まるで彫刻のように整ったこの男があのとんでもないシュークリームを食べたとは、全く想像もつかなかったけれど。まぁそれ以前に、ロシアンシュークリームなんてふざけた遊びに付き合うようにも見えないわけだが。
「ええ、まあ。とにかく、この紙に書いたものを仕入れていただきたいのです」
 ぴら、と渡された1枚の紙には、流麗な字で滅多に使わないような材料がたくさん記されていた。
「それと、後ほど厨房を貸してくれませんか。空いた時で構いませんので」
 予想外の連続で、ダリエロは何も考えられないままに首を縦に振っていた。本来厨房には頑として他人を入れることはないのだが、ボスといい骸といい、唐突な珍客にはどうにも弱かった。



「……ボスといい霧の方といい、不思議な材料を欲しがるな」
 ボスの時は青のりやらドリアンやらアロエやら脈絡のないものばかりだったが――

「なんでこんなチョコレートばかり……?」

 骸に手渡された紙には、聞いたこともないような種類のチョコレートが分量まで事細かに記してあった。















「ボボボボスぅっ!!」
 頭のネジが2・3本ぶっ飛んだような様子で嵐がジョットの部屋に駆け込んできた。いつも礼儀と規律を重んじ、右腕としてあるべき姿を自分に投影し続けている彼が、今日は見る影もない。
「こっ、こんなものが机の上に…点あったん、す……けど――ーボス?」
 尻窄まりになって不審な声をあげる嵐の視線の先には、何やらフォークを持ったままぷるぷると震えるジョットの姿があった。俯いていて顔は髪に隠れているが、髪の隙間から、何かきらりとしたものが滴っていた。
「え、ボス? ま、まさか――」
「うぅっ、嬉し・おいし泣きだぁぁぁ!!」
 ばっ、と音がしそうな勢いで顔をあげたジョットは、それはもうひどい状態だった。酔ってもないのに泣き上戸のような、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「なっ、泣いていらっしゃる!?」
「だってぇ……ぐしっ、骸あいつうますぎ……! ぐすっ、っていうか可愛いすぎるって……!」
 鼻水も併発しているらしく、なんだかもうボスとしての威厳とかそういうのが丸崩れになったのは確実だった。
 ジョットをそんな状態にした直接の原因とも言えるのは、ジョットの机の上にのっている焦げ茶色の小さな塊。表面を丁寧にチョコレートでコーティングされているそれは、中もチョコレートの風味豊かなスポンジ生地で、全体として甘さを控えているのにじんわりととろけるようなまろやかさがある。リキュールの類を使ってあるのだろうか、高貴としか表現しようのない香がほのかに鼻孔をくすぐる。ケーキに詳しくないジョットには、その物体を単にチョコレートケーキとしか呼びようがないが、実際はもっと長ったらしく格のある名前がありそうだ。
 ひいき目無しでとんでもなくおいしい。『おいしい』なんて在り来りの言葉じゃ勿体ないくらいだが、骸が作ったということを考えれば、『おいしい』というのが最大級の賛辞だろう。
「これ、やっぱり骸が作ったんですか……」
 事態に呆然としたままの嵐の手には、ジョットが食べたものと全く同じ物が皿ごとのっていた。





 それは今からほんの数分前のこと。嵐が自室に書類を取りに戻って机の上に置いてあった紙束を手に取ったところで、何か物音がしたのだ。職業柄物音や気配に敏感な嵐は、あたりを警戒するように見回したが、何も変わったことはなかった。しかし気のせいかと書類に目を戻すと、1枚のうすい小さな紙が紙束の上に乗せられていた。
 その紙にはただ一言。

『Grazie.』

 と流れるような文字が書かれていた。そしていつの間にか机の上に置かれていたのが、その芸術品のような菓子だった。





「まさかとは思ったんですけど、やっぱりそうですか」
「俺もさぁ、サインに飽きて欠伸してたら、気付いた時には乗っかってたんだ」
 あの時は驚いたものだが、直感でわかった贈り主にして作り主には目を剥くほど驚愕したものだ。
「何て言うかもう、面と向かって言わないあたりがもう……!」
 またぐすぐすしながら、フォークでカケラを切り崩して口に入れる。嬉しいやら美味しいやら可愛いやらで、もう大変らしい。
「骸が料理――しかもチョコレートだなんて想像もつかないですけどね」
 少しおっかなびっくりしながらも、嵐も持って来てしまったケーキをフォークで切り分けて優雅に口へ運ぶ。
「……こっ、これはまさかぁぁぁぁっ!! 伝説のショコラティエの至高の名作と呼ばれたル・コッ――」
「ボスぅぅぅぅ!!」
 なんだかスイッチが入ってしまったらしい嵐の言葉を遮って若い声が乱入した。
「こっ、こんなものが! 頭に!」
 頭に……? と呆気に取られた二人が疑問を浮かべたが、肩で息をする雷の手に全く同じ物が乗っているのを見て無理矢理納得した。贈り主が骸という段階でそもそも異常というか奇跡に近いのだ。気付いたら頭の上に皿が乗っていたくらい、今更大したことではない。
「お〜い、ボス〜」
 今度は間延びした低い声。雨の守護者だ。案の定と言うか、その手にはやはり皿とケーキが乗っている。
「なあ、これ食っていーのか?」
 少し他の者とは反応が違うようだが、疑問の中心は同じだ。
「あ、なんだもう食ってんじゃん。じゃ、俺も食お〜っと――っ!!」
 どこまでものんびりした様子の雨が、ケーキを頬張った瞬間からがらりと変わり、びきっという擬音語がぴったりきそうな険しい表情になった。
「た、食べていいんですか? じゃあ僕も――っっ!?」
 続いて雷までも固まった。帯電体質ゆえか、その瞬間バチッとかビリッとか音を立てて火花が飛んだ。
「……っ!」
「〜〜〜!」
 二人して固まったまま音にならない声をあげる。
「〜〜だよなぁ! おいしいよなぁ! 俺ちょっともう抑えらんないや」
「「「――は?」」」
 言うやいなや、ジョットは素晴らしい瞬発力でもって机を飛び越え、走り出す。
「ボ、ボス!」
 条件反射で嵐が後を追い、更にそれを弟分の雷が追い、更に更に小守の感覚で雨が追った。










 バタンっ

「骸〜っ!!」

 ノックなし&鍵無効化で問答無用に骸の部屋のドアを開け放つ。しかし部屋の中には誰もいなかった。
「……」
 ジョットは構うことなくずんずんベッドに歩み寄って、立ち止まる。そしてベッドの上、何もないように見えるところに迷わず手を伸ばし、見えない何かをぐりぐりと撫で付けた。
「とてもおいしかった。ありがとうな」
 一方的にそれだけ言うと、ジョットは満足して出て行った。

 その直後、鍵を開けられたままのドアが再び開けられ、覗き込むように嵐・雨・雷の3名が顔を出した。
「――見えないけど、いるよな?」
「気配はないなぁ。でも侍の勘に頼れば、いる、かな」
「ほ、ホントですかぁ?」
 三者はキョロキョロと部屋の中を見回して、誰に向かうでもなく口を開いた。
「まずくはなかったぞ〜。また今度作れば食べてやらなくもないからな!」
「あんなうまいもん初めてだったぜ! あんがとな〜」
「まさかあなたからお礼が返って来るとは思いませんでしたが、おいしかったですよ〜」
 相変わらず部屋には誰の姿もなく、当然ながら何の反応もないが、3人は満足してドアを閉めた。



「………………恥ずかしい人達」
 
 静かになった部屋で、照れたような小さな声が響いた。


















「いやぁ、やっぱり気になっちまって、こっそり覗いてみたんですよ。見るなと言われると見たくなるのが人間ってもんでしょう?」
「うんうん、わかるわかる。それで?」
「厨房を覗いてみたらあっしが買ってきたチョコレートが並べられてて、食料庫の方からガタゴト音がしてたんです」
「音?」
「ええ。好奇心に負けてさらに覗いてみたら、そこには――」
「ふんふん、そこにはっ!?」
「ちっちゃい霧の坊やが椅子積んで登ってたんですよ! いやぁ、噂で霧の方が実は子供だとは聞いてたんすけど、まさか本当だったとは! しかもなんか危なっかしくて可愛いかったんですよ〜」
「うっわ何ソレ! 俺も見たかった!!」
「リキュールなんてオシャレなもんめったに使わないから高いとこに積んでまして。一生懸命だったからか全然こちらに気付かんで、ちょっとはにかんだような笑顔で瓶を眺めていたんすよ」
「うわズルい!! そんなの俺だって見たことないのにっ」
「ボスが可愛がるのもわかりましたよ! あれは反則ですって!!」
「わかるだろ!?」
「ええ!!」


「……二人とも仕事してくださいよ……」








骸さんは実は料理上手だったり。とは言っても、有り合わせで何か作るのは駄目駄目だったり。レシピがあればなんでも作れるけど、ないと何も作れなかったり。そして身体が小さいから踏み台を使わないといけなかったり。そういう骸さん、誰か描いて下さらないかなぁ……。

2008.4.1

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