08.悪戯
「……おや……」
窓を揺する風の音に紛れた遠くかすかな音。
それと同時に出現した慣れた気配に、骸は静かに身体を起こした。
「全く面倒な……」
音もなくベッドから降りると同時に、その姿は一転し、霧の中に掻き消えた。
「ぁ、ぅぁ……っ!」
僅かな力で必死に床を這うが、思うように動かない。切り裂かれた喉からはひゅうひゅうと空気の漏れる音がするだけで、明確な声になることはなかった。
「ぉ――」
ぴちゃんと濡れた音を立てて地に伏すと、それきり無音になった。
その姿を最期まで見届けることなく、月明かりに照らされた影が静かに動く。と――
ジャッ
「っぁっ!?」
鋭い音と鈍い音。相反する2種類の音と押し殺した野太い声が響く。先程まで加害者であったはずの影は、途端獲物と成り果て床に倒れ伏した。
「ぐっ!」
息を静かに荒げながら、黒装束に身を包んだ男は足から来る激痛に身をよじり、もがく。その足の腱は綺麗に寸断され、そこから夥しい量の血が溢れ出していた。
「こんばんは」
頭上から降って来た場違いなほど涼やかな声に、男は驚愕の表情で顔を上げる。
「おや、見たことのある顔ですねぇ」
夜目の効く骸は、見覚えのある顔に記憶をあさる。そうして、思い当たった。
「あぁ、今日の会談の時すれ違いましたね」
今日は同盟ファミリーの結束を確かめる会だとかで、骸にとっては心底退屈な会議に連れていかれたのだ。それぞれの幹部に混じり、少数ではあったが下部組織の構成員も見掛けた。その中の一人が、確かこんな顔だった。
「霧の――!」
脂汗を流しながら、搾り出すような声で呻く。腱の切られた足では立つことなどできない。銃ならあったが、今こんなところで発砲などすれば、跳び起きた構成員たちによって即座に蜂の巣にされるのは自分だ。
あとは――ナイフのみ。
骸がその場にしゃがみ込んで囁くように顔を近づける。
「寝ている皆さんを起こしたくないのは僕とて同じ。手荒な真似をする前に答えてくださると助かるんですけど」
足の腱を切った時点で十分手荒だったが、すぐ側に転がるボンゴレの守衛を思えば大したことはないだろう。ファミリーの誰かが死ねば、それが誰であろうとお優しいボスは嘆くのだ。名も知らぬ構成員など骸にとってはどうでもいいが、そのせいでジョットが悲しむのはひどく苛立たしかった。
「っ……お、は――」
男はもごもごと口を動かしたが、小さい上に掠れていてよく聞き取れない。
「何です? 聞こえませんよ」
骸が耳を男の口元に寄せた。
「バカがっ」
小声で男が叫び、袖の中に隠していたナイフを踊らせた。しかし、その刃は微動だにしない骸の喉を、何の感触もないままに擦り抜けた。
「何っ!?」
予想外の事態に流れた身体のバランスをとることもできず、びたんっと無様に床に身体を打ち付ける。
「クフフ。正当防衛成立、ですかね」
美しく怜悧な微笑に少しの子供らしさを滲ませて、冷え冷えとした紅い目が男を映し出した。
早朝。
慌ただしく人が動き回る廊下を、ジョットは嵐の守護者の先導で駆け抜けていた。
昨晩、ボンゴレファミリーの構成員が何者かに暗殺された。その報告を聞いた時ジョットは胸を痛めたが、それ以上の問題がまだ残っていた。
構成員が死んだ現場へ近付くにつれ、血の臭いと、何より耳障りな枯れた声とがジョットの胸を圧迫する。そして、吐き気が込み上げるほどに紅く染まった現場で足を止めた。止めざるを、えなかった。
「ミ、リタ……っレ! ミリタ……レファミリ……ぃって……! 何度も――! やめっ……ミリターレだっ! 俺は、命令で――ひっ……!!」
声の主は、残された左目で一点を見つめ、ただひたすらに何事かを叫んでいた。右目は無残にえぐられゴミのように打ち捨てられていた。黒に統一された衣服はじんわりと赤を感じさせ、ところどころに肉色の塊をこびりつかせている。床には異常な量の血が散乱していた。致死量に近い。この男がまだ生きていることの方が不思議なくらいだった。
「……この男は?」
胃から込み上げる物を必死で押し込め、同じく青ざめた顔の嵐に尋ねる。ここにいる者たちはみな似たような顔色をしていた。
「ずっとこの調子なのではっきりしたことはわかりません。しかし、この傷は……」
嵐としても、そう何度も見たくはないが、男の陥没した右目を指差さす。何か鋭い得物で強引に摘出したらしく、脳に到達しかねん深さまで傷が達しているだろうことが窺えた。そして目元の2ヵ所に同様の刺し傷ができている。
「まさか――」
「おや、随分お早い起床で」
「!?」
「おはようございます」
どろりとした空気にそぐわない冷涼な声とともに、長身の整った顔立ちの男が晴れやかに歩み寄る。
「む、骸!」
「おや、人前では名前で呼ばないんじゃなかったんですか、ボス」
いっそにこやかとも言える表情を浮かべ、骸はジョットの前で立ち止まる。そして懐から何やら筒状にきれいに丸められた紙と小さな布袋を取り出した。
「はいこれ、お土産です」
反射的に受け取ってしまってから、それらが赤く染まっていることに気付いた。
ジョットが急いで紙を広げると――
「骸、これ……!」
それは書状だった。ボンゴレへの忠誠と同盟維持、財産・土地の分与などについて書かれ、震えたサインと血判とが事態の重さを主張していた。サインは、昨日の会議で見たものと同じ、ミリターレファミリーのボス、ロディーオのものだった。
そしてもうひとつ、確かな重みを感じる布袋の中身は――
「いらないと言ったんですけど、持って行けとうるさくて」
それは、ごつごつとした印象の親指だった。おそらくは右手の、切断された親指。
「忠誠の証だそうですよ。僕には理解できませんけど」
さらりと言ってのけると、呆然とするジョットと嵐の間をすりぬけて、声にならない声で未だ叫び続ける男の側にしゃがみ込む。
「あ――っ!」
男の一つしかない目が骸に焦点を合わせた。
「ゆるっ、許しっ……!」
全身をがたがたと揺らしながら涙を流して懇願する。恥も外聞もない憐れな姿は、しかし骸には何の感慨も抱かせなかった。
「では、最後にもう一度、ハッキリとおっしゃってください」
骸の酷薄な笑みに男はぐっと息をためると、今までの掠れた声が嘘のようにはっきりと叫んだ。
「俺はボンゴレボスを暗殺するようミリターレのボスであるロディーオに命令を受けた! そこの男を殺ったのも俺だっ」
一息に言い切ると、ぜぃはぁと荒く息を吐き出した。
「はい、よくできましたね」
ぱちん、と男の顔の前で指を鳴らすと、途端に男は呼吸を止め、ぐったりと倒れ伏した。
完全に、動かない。ただの数秒の間に、死んだ。死体に戻った、と言った方がしっくりくるような不気味さがあった。
「骸! お前、何をしたんだ!」
ジョットの手が骸の腹のあたりを透過して、骸の本当の肩を掴んだ。華奢な肩に感じるどこかぬるりとした感触にぞっとした。
「あのねぇ、気持ち悪い図になるから離してくれません?」
端から見れば、ジョットの手が骸を突き刺しているようだ。正体を隠したい骸としてはこういうことはやめてほしい。
だが、ジョットの真剣な眼差しは本当の骸を捉えて離さない。
「骸!」
叱るように厳しく名を呼べば、骸は渋々といった様子を隠さぬまま幻術を解いた。
「……なんです」
何も知らないファミリーたちの奇異の視線を小さな身体に受けながら、ジョットを恨めしげに見上げる。そう多くはないとは言え、部下にあたる者達にこの姿を見られてしまったのだ。不機嫌な声音になってしまうのも仕方ないだろう。
「その血は!? 一人二人じゃないだろ! 今までどこで何をしてた!」
全身からひたひたと紅色を零す骸は、不思議そうに眉を寄せた。
「だから、ミリターレファミリーのところですよ」
だから何なんです、と言いたげに首を傾げる。
「ロディーオを……殺したのか」
ジョットが低く唸る。そうであってほしくない。だが、言葉は疑問形にならなかった。
「ロディーオと言うよりは、ミリターレファミリーですけど」
「!!」
骸がこうもあっさりとファミリーを潰し、かつ平然としていることにジョットはぞくりとしたものを感じた。
「あぁ、しばらくの間は僕がロディーオの振りをした後に時期を見て自然消滅させますから、ボンゴレに疑いの目が向くことはありませんよ」
だから心配無用です、と骸は微笑んだ。
昨日の会議で、ロディーオとジョットは意見が真っ向から食い違っていた。その議題となったのは、麻薬マーケットへの参入だった。無論、ジョットは麻薬など認めず、弁の立つ骸の助けもあって会議はボンゴレ主導のものになった。しかし唯一ロディーオだけが異を唱え、最後まで譲らず結論は次回へ持ち越しとなってしまった。そんなことがあった昨日の今日でミリターレが壊滅したとあっては、ボンゴレが疑われるのは火を見るより明らかだ。
骸にとっては、ロディーオどころかミリターレファミリー全体をあるように見せることなど簡単だろう。そしてボンゴレにはなんの被害もなく、反対する者は人知れず消える。組織としては何の問題もない。しかし、ミリターレなら恐怖政治も辞さないだろうが、ボンゴレはマフィア界きっての穏健派なのだ。それはジョットの性格によるものとも言える。
「そんな――そんな問題じゃないんだっ。そうじゃなくて、もっと他に大事なことがあるだろう!」
万感の想いを込めて骸の両肩をぐっと強く掴む。骸が特殊な生い立ちであることは、骸自身から聞いて理解していた。物事の考え方、命の価値観、全てが違うこともわかったいたけれど、それでもわかってほしかった。
しかし、その想いは骸の顔をただ歪ませただけであった。
「大事なこと? 何を言ってるんですか。今の僕にとって一番大切なものは、あなたです。他のことなどどうでもいい」
怒っているような泣くのを堪えているような表情で、骸は真っ直ぐジョットを見る。その目に嘘はない。
どうしてわかってくれないのか、互いの想いはひどく似ていて、故に交わることはなかった。
「僕が家族を狙う輩を生かしておくわけないでしょう。そんなこと、とうの昔に理解していたじゃないですか」
家族になるはずだった3人の子供達を亡くしたことで、両手を血で染め、街ごと全てを焼き払った骸。仲間と認めた者に対する執着は、自分の命などより余程重い。どんなに歪んでいても、その想いは強く、確かだった。
「お前の気持ちはよくわかるし、俺だってお前を想う気持ちは同じだ。でも、こんなやり方は間違ってる!」
「――そう思うなら、僕とあなたの想いは違うということですよ。あなたの心はいつも誰かで埋まっている。その中には僕がいて、ファミリーがいて、ありとあらゆるものが入ってる。ただ優先順位が違うだけ」
ジョットはきっと、そこに転がる名も知らぬファミリーの死を悼むのだろう。そのファミリーを手に掛けた男の死も、そう命じたロディーオの死も、何人いるのかさえわからないミリターレファミリーの死も、何もかも。
彼は全てを平等に包む大空。
空のすべてを霧でうめることなど、できはしないのだ。それが、骸の心に暗い影を落としていた。
「僕は違う。僕にはあなたしかいないんだ!」
肩を握るジョットの手に小さな手を重ねた。こんなに近いのに、時々ひどく遠く感じるのはなぜだろう。
「……たったひとりの家族を護ろうとして何が悪い」
悲痛とも取れる声で呟くと、骸はジョットの手をはらい、踵を返した。
「む、骸!」
慌ててジョットが手を伸ばすが、突如骸を包んだ霧に阻まれ届くことはなかった。
霧が晴れる頃には、そこに骸の姿はなかった。
「骸――」
勢いでジョットの手を振り切ってしまって、骸は内心ひどく焦躁していた。あんなことを言うつもりではなかったのに、気付いた時には口から滑り出して止まらなくなっていたのだ。
パタン、と自室のドアを閉め、ほとんど無意味な鍵をかける。いくら鍵をかけても、なぜかジョットはするりと開けてしまう。だからこれは、ただの意思表示。拒絶の証。
扉に寄り掛かったままずるずると座り込む。血がついてしまっただろうが、真っ白なベッドに飛び込むよりはいくらかマシだ。
(シャワー、浴びないと)
派手にこびりついた血は、乾くと厄介なことこの上ない。ぼんやりと考えながら、しかし身体は立ち上がることさえ拒否していた。
「……気持ち悪い」
慣れたはずの血の臭いが、今はやけに鼻についた。
「本当に来ると思います?」
同盟会議の行われる会議場へ向かう馬車の中、向かい側に座る嵐の守護者が尋ねた。
「あいつがああ言ったんだから、来るだろうな……」
今日の会議に、ロディーオは来ない。来るのは骸だ。
あの後、ジョットは意を決して骸の部屋を訪れたが、もぬけの殻だった。ところどころにこびりついた血がぎょっとさせたが、シャワー室は汚れてなかった。おそらく、あの姿のままミリターレの屋敷に向かったのだろう。血の臭いに塗れた、屍の屋敷に。
「視察に出した部下の話では、外から見た限りでは特に変わった様子もなかったそうです」
屋敷に血の痕はなく、中の人間も含め、かつての姿そのままであった、と。その部下は、霧の守護者の話は妄言なのではないか、とまで進言してきたほどだ。しかし骸のことをほんの少しでも知っている者ならば、それはないと断言できる。
「――実はさ、みんなに黙って、俺もこっそり見に行ったんだ」
「はい!?」
突然の告白に、嵐の声がひっくり返った。
「いや、ごめん! 気になって気になって仕方なくてさ」
物言いたげなじっとりとした視線を手で宥めつつ、あの時のボスらしからぬ行動を振り返る。
「あんなことがあって深夜は見張りが増員されてるから、部屋でサインしてる振りをしつつ、隙を見てちょこっとな」
ちょこっと、の部分で親指と人差し指で小さな隙間を表し、顔の前に掲げた。そういう子供らしい表現を他のファミリーの前でしてないだろうな、と嵐は気が気でないのだが。
「まぁ、あなたが大人しくしているとは思ってませんでしたけど、せめて俺にくらい一言……」
「だって、そんなこと言ったら止めただろ?」
「当たり前です!」
じゃあダメじゃん、とばかりにジョットは肩を竦めた。嵐は痛み出した胃を押さえつつ、先を促す。
「それで、どうだったんです?」
「部下の報告と一緒さ。信じられないくらいに普通だった。事情を知ってる俺からすれば、その方が異常なんだけど」
骸が来る以前、ジョットはミリターレファミリーを訪れたことがあった。今回の件であえて変わった点をあげるなら、守衛の配置が昔より隙のない布陣になっていたくらいだ。おそらく骸が変えたのだろう。今誰かに襲われるのは避けたいはずだ。撃退するにしても何にしても、ぼろが出やすい。その守衛さえ幻なのだろうが。
「骸、無理してるんじゃないかな……」
幻覚にしろ暗示にしろ、ミリターレファミリー数十人を維持し続けるのはどれだけ神経を擦り減らすことか。骸がボンゴレの屋敷を出て2週間。死人しかいない屋敷で、たったひとり。
「……骸……」
重苦しい空気のまま、馬車はがらがらと夜道を走り抜けていった。
人里離れた山奥に、マフィアの会議場となる屋敷はあった。
どこか湿り気を帯びた空気は澄んでいたが、やはり重かった。
「おぉ、ドン・ボンゴレ! 相変わらずのようですな」
馬車を降りたジョットを出迎えたのは、書類上は屋敷の持ち主であるアマンドファミリーのボス、ブルーノだった。恰幅がよく気前もいい、穏健派の代表格だ。
「ええ、まあ、どうも……」
とても好ましい人物なのだが、童顔で背も低いジョットを孫か何かのように扱うので、それらがコンプレックスのジョットは複雑だった。ちなみに、普通なら挨拶は握手で済ませるが、ブルーノが相手だとあちらからの一方的なハグになる。
「先程ロディーオが来ておったぞ」
ぎゅうぎゅうとジョットを抱きしめながら、ブルーノがジョットの耳元で囁く。
「わしは君を応援しとる。中立派の中にも君の味方は多いはずだ。負けるなよ、若人」
それだけ言うと、部下に指示を出すべくジョットの元から離れて行った。
「……」
普段なら嬉しいはずの気遣いも、今はただ虚しい。
「ボス、ロディーオの――骸の様子を見なくてよろしいんですか」
嵐がさりげなく肩を叩く。
「……ああ、そうだな」
何にせよ、会議の前に挨拶回りは済ませるべきだ。骸のためにも、いつも通りの行動を取らなければ。
「フォロー、頼むよ」
「ええ、もちろん」
一人じゃない嬉しさを噛み締めて、ジョットは屋敷内へと足を運んだ。今まさに独りきりの、骸の元へ。
「これはこれは、ドン・ボンゴレ」
ロディーオの特等席となっていた3階のバルコニーに、彼はいた。
いつも下卑た笑みを貼付け、油ぎった手でワインを揺らしていた、ロディーオ。前回と全く同じ場所、全く同じ仕種で彼はこちらが歩み寄ってくるのを待つ。ロディーオは傲岸不遜で、自らが歩み寄るということを知らない。そして相手が近寄るまで、決してワインから目を離さない。そんな細かな癖まで完璧に同じ。
「こん、ばんは。……ドン・ミリターレ」
声に若干の震えが走ったが、なんとか骸の名を出すことだけは堪えた。
そんなジョットの様子をロディーオそのものの厭味な表情で見つめると、嫌そうながらも立ち上がり、手を差し出す。握手の手は年上から。そんな当然のマナーも、今はひどく滑稽だった。
「……」
悪趣味な指輪の細部までロディーオそのままの手を、ジョットは少し躊躇いながら握る。
(!!)
しかし実際触れたその手は、とても小さく冷たかった。はっとしたようにロディーオ――骸の目を見る。一瞬だが、確かにその瞳の奥には揺れるものがあった。
「また、後ほど」
ロディーオのしゃがれた声で告げると、骸はジョットの眼を見ることなく足早に去った。ロディーオと同じ、右足を引きずる歩き方だった。
夜半を過ぎた頃、前回と同じ顔触れで会議は始まった。議題は裏市場の税率や縄張りの境界線、崩れた橋の整備などなど、多岐に渡った。しかし前回の会議から大した時間も経っていないので、あくまで確認程度のことだ。
「次の議題は、前回流れてしまった麻薬マーケットへの参入の件だ」
メンバーの中で最も年配であるブルーノが議長を務め、問題の件に入った。
(――来たか)
ごくりと生唾を飲み込んで、ちらりと骸に視線を送る。周りの者たちの視線もまた骸――ロディーオに集まっていた。もっとも、ジョットのものとは意味が違ったが。
「意見は変わっておらぬのかな、ドン・ミリターレ」
議長の重い声が骸の発言を促す。
「私は――」
「お待ち下さい!」
骸の言葉を遮ったのは、誰あろうジョットだった。
「……!?」
人の言葉を遮ったことのないジョットの大声に他のボスも驚いていたが、誰より驚いていたのはやはり骸だ。何をしているのか、と責めるような視線をひしひしと感じる。
「その前に、私から皆様に謝らねばならないことがあります」
まさか、と骸がかすかに息を飲む気配を感じながら、ジョットは深呼吸して気分を落ち着ける。
「そこにおりますロディーオは、ロディーオではありません」
「!?」
うまく伝えられないもどかしさにやきもきしながら、もう一度深呼吸した。
「一体何を言っているのかね?」
「そこにいるロディーオは、偽者なのです」
ジョットの言葉に、場がざわめいた。そんな中、タイミング良くロディーオのしゃがれた声が響く。
「ボンゴレの若造は冗談がお好きのよう――」
「もういい、骸」
しかしまたもジョットの声がそれを遮った。
「……いいから」
その異様な空気に、場はしんと静まり、ジョットの発言を待つ。
「お騒がせして申し訳ありません。私に釈明の時間を与えてはいただけませんか」
皆微動だにすることなくジョットを見つめていた。それを肯定ととり、ジョットは口を開いた。
「先の会議にて、ドン・ミリターレはマーケット参入に意欲的でしたが、私を含む穏健派の反対にあい、議題は流れました。彼が随分と麻薬にこだわっていたのは皆様もご存知の通りです。そして彼にとって最も目障りなのは、この私。その日の夜半、彼の手の者が私を狙ったのです」
「言い掛かりだ! 黙って聞いておれば調子に乗りおって! 気でも触れたか若造!!」
ロディーオらしい剣幕で、ロディーオらしく怒鳴る骸を、ジョットは静かに見つめた。
「戻って来い、骸。ボンゴレの体裁なんてのは、どうだっていいんだ。そんなもののせいで家族が共にいられないことの方がずっとつらい」
澄んだ瞳でロディーオの目の奥、困惑に揺れる骸の瞳を見つめる。
「だから……帰って来てくれよ、骸」
「……っ」
長い長い沈黙の果てに、ロディーオの姿は陽炎のように揺らめいた。
「……あなたと言う人は……!」
瞬き一つの間にそこに現れたのは、ロディーオとは正反対の印象を与える、妖艶な青年だった。同時に、ロディーオの脇を固めていた部下2名は何も残さず掻き消えた。
「こ、これは一体!?」
ジョットと嵐以外のその場にいた全員が呆然と口を開き、口々に疑問の声をあげる。そんな中、がたん、と荒々しく立ち上がって、骸はジョットの側に歩み寄った。
「まったく……」
手に負えない、とばかりに骸は眉間に皺を寄せて腕を組むと、誰とも視線を合わせぬよう背を向けた。
「ドン・ボンゴレ、説明の続きを」
ブルーノは動揺から早々に立ち直ると、ジョットに話の続きを促した。
「はい。あの日、私の屋敷に侵入し、ファミリーを害した狼藉者を発見したのは、この霧の守護者でした」
ちら、と骸に視線をやるが、案の定骸は軽く鼻を鳴らしただけで、こちらを見ようとはしなかった。
「それがミリターレの者だと知った彼は、夜が明けぬ内にミリターレの屋敷へ赴き、結果屋敷にいたミリターレファミリー全員とロディーオを害したのです」
「なんと! それは本当かね!?」
ブルーノたちは骸に目を向けるが、骸は相変わらずこちらに背を向けており、答える気などない様子だ。
「真偽のほどは、ミリターレの屋敷を見ていただければ自ずとご理解いただけるでしょう」
骸の小さな身体では、大の大人を運ぶのはまず不可能。おそらくは惨劇の姿をそのまま残しているはずだ。
「これはボンゴレ全体の意思ではございません。しかしすべてはボンゴレを護らんがための行為であり、決して悪意あるものではございません」
「……」
悪意はなかったと言い切ったジョットを、骸は複雑な想いで背に感じていた。
ジョットはさらに続ける。
「そして彼はボンゴレの名誉を傷付けまいと事実を隠し、ロディーオの姿でこの場に現れたのです。皆様の目を欺こうとしたことは申し開きのしようもございません」
一度言葉を切って、皆の顔を見回す。
「私は如何様な罰もお受け致します。ですがどうか、霧の守護者とボンゴレを罰することのないよう、深くお願い申し上げます」
そうして深々と腰を折るジョットに、骸はびきっと音がしそうなほどに眉を寄せ、振り返った。
「なっ、何を言っ――っ!!」
ジョットの横から嵐が骸の口を手で強引に塞ぐ。何も知らないものからすれば、骸の身体に手が埋まったようにしか見えないが。もごもごと見えないところで抵抗するものの、嵐は決して骸を離そうとはしなかった。
「ぷっ、はははは!!」
突然、空気にそぐわぬ笑い声が響いた。実に楽しそうなその声は、ブルーノのものだ。
「ふ、ふ――いや、悪い悪い! ふはっ!」
上擦った声にジョットが身体を起こすと、柔らかな笑みのブルーノと目が合った。
「やはり儂の目に狂いはなかったな」
「ドン・アマンド……?」
事態が飲み込めず、ジョットが戸惑った声を上げた。嵐の守護者も思わず力を弱め、その隙に骸は嵐の手を振り払うことに成功したものの、同様に戸惑っていた。
「儂らがお主らを裁くなど、到底有り得ぬよ。この場には、お主を裁けるほど清らかな手の持ち主はおらぬからな」
なぁ、と場を見回せば、皆一様に苦笑して頷いた。
「マフィアの世界に生きる以上、血に塗れるのは当たり前のこと。それに比べれば、ジョット坊や、お主はまだまだ清く、純粋だ。儂にはちと眩しいくらいにな」
そう言うと、視線を今度は骸に向けた。
「お前さんはいろいろと業を抱えて苦しんでおるようだな。だが、善きボスの下ならば、心休まる時もあろう」
骸が幻影の内でぴくりと眉を寄せる。
「ボスを大切にせいよ」
「……」
上っ面の幻影は恭しく一礼したが、実際はその下で余計なお世話だと睨み付けていた。
それをなんとなく気配で察して、ジョットが幻影に手を突っ込み、中身の頭も下げさせた。
「慈悲深いお言葉、感謝致します」
ジョットと嵐は自らも深々と腰を折る。
「――さて、会議はこれにて終了かね。夜が明ける前に解散としようか」
ブルーノが解散を告げると、皆どことなく笑顔で会議場を後にした。去り際にジョット達へ温かな言葉を残す者までいた。
「ジョット坊。本当のことを言うとな――」
皆が去ってから、ブルーノはジョット達の方へ歩み寄って、声を潜めて打ち明けた。
「儂らの方にも、以前ロディーオの手の者が侵入して来たことがあるのよ」
「え!?」
「で、やられたらやり返すのが儂の流儀でのぉ。もちろんその時も刺客を送った」
突然の話にジョットも嵐も目を白黒とさせた。骸は思うところがあったのか、動揺はしていないようだ。
「そうしたら、次の日の朝、親指のない死体が玄関先に吊られておった。判別するのに時間がかかったが、確かに儂の送った刺客だった」
「そう言えば、屋敷に塩漬けにされた親指がいくつか飾ってありましたよ」
骸の聞きたくなかった情報に、ジョットの顔がさっと青ざめた。隣の嵐も似たようなものだ。親指にこだわりでもあるんでしょうかねぇ、と骸は平然としていたが。
「ま、他の連中が送った刺客も似たようなことになったわけだ。お前さんのところの部下が優秀だっただけさ」
なぁ、とさりげなくブルーノの手が骸にのびる。
しかしそれを察した骸が一瞬早く飛びのき、ブルーノの手は空を切った。
「ケチだのぉ。儂もやってみたかったのに」
ブルーノはおもちゃを取り上げられた子供のような表情で、手をわきわきさせた。おそらく、骸の幻の中に手を突っ込んでみたかったとか、そんなところだろう。
「…」
骸に白い目を向けられながら、いい年をしたブルーノは渋々手を引っ込めた。
「まぁ、とにかく、あまり気にしないことだな」
ふぉふぉふぉ、と大物らしく笑いながら、ブルーノもまた会議場を後にした。
「食えないジジィだ」
ふん、と軽く鼻を鳴らした骸は、やはりかなり不機嫌だった。
「もっと食えないのはあなたですけど」
「いや、だって――」
「だって、じゃありませんよ」
ぴしゃりと言い返されて、ジョットが怯む。てっきり嵐が庇うかと思われたが、珍しく嵐までもが攻勢へ回った。
「そうですよ! 突然あんなこと言い出すなんて! フォローするとは言いましたが、ああいうフォローになるとは思ってませんでした!」
ああいうフォローとは、骸の口を塞いだことだろう。その時の屈辱を思い出して骸は嵐を睨んだが、今はそれどころではないと思い直した。
「「どういうつもりです!」」
意見の合ったことがない両者がぴったり同じタイミングと台詞なんて奇跡じゃないのか、などと場違いなことを思いつつ、ジョットが顔を引き攣らせた。
「いや、だって――」
「「だって、じゃありません!」」
またもハモる両者を見て、いつになったら帰れるのやら、とジョットは深いため息をはいた。
『比翼の鳥』内の骸さんはこういう骸さんです。一度認めた相手の利になるなら、誰に対しても容赦しない人。でも、常に一生懸命なだけなんです。
次へ
2008.4.1