05
(暖かい……)
まるで母の胎内にいた頃のようだ、と微かで僅かな記憶を辿りまどろむ。
絶対の安心と信頼の中で眠り続けた思い出。生まれ落ちた瞬間に崩れさることは嫌と言うほどに知っていたけれど、それでも希望を抱いてしまう温もり。
(もう少しだけ、このまま――?)
ゆらゆらとした意識の中、何か一際暖かいものに頭を撫でられているのに気付いた。
(……この感触、どこかで……)
何度も丁寧に繰り返されるそれは、決して柔らかくないのに、ひどく気持ちがいい。
「……」
心地良い眠りに誘われ、意識はまた暖かな暗闇の中に落ちていった。
「……」
いつのまにか屋敷のベッドに寝ているのを不思議に思いながら、骸は身体を起こしてベッドに腰掛けた。頭にまだ温もりが残っているようで、なんとなくくすぐったかった。
「骸ー?」
コンコン
ノックと声が同時に響いて、返事を待たずにドアが開けられた。そこまではいつものことだったが、ガツンガチャン、と何かが入口の壁にぶつかって派手な音を立てているのは初めてだ。
「何です、それは」
ジョットがガチャガチャと喧しく運んで来たのは、3段のボックス型カートだった。目一杯積めるだけ積んだらしく、食器と食器の隙間はほぼゼロに等しい。一皿一皿にきちんと半球状の蓋が被せられていて、中の料理――じゃないかもしれないが――は全く見えない。
「骸の身体めちゃくちゃ軽かったから、たくさん食べてもらいたくて。今回はいろんな料理で、骸の好みを知るってのが1番の目的かな」
どうやら骸をベッドに運んだのはジョットらしい、と冷静に分析しながら、皿が机に並べられていくのを眺める。机に乗りきらない分はどうするのかと思えば、何やらカートをいじってベッドの半分ほどの大きさの簡易机を組み立て、その上に乗せていく。よくできているなとどうでもいいところで感心している間に、フルコース2回分はある料理がベッドのまわりに並んだ。
(まさかこれを全て食べろと……?)
骸の頬が少し引き攣ったのを見て、ジョットが楽しそうに笑った。
「もちろん全部食べなくていいって。ちょっとずつでいいから食べて、お前がおいしいと思ったものを教えてくれればいいんだ。なっ」
話しながらジョットの手がカパカパと蓋を外していく。現れた料理の数々は、定番のピッツァやパスタ類にはじまり、貴族が食べてそうな分厚い肉やハム、そしてなぜか和食らしきものまである。他にもどこの国の料理なのかすらわからないぐちゃっとした緑色の何かだとか、身の危険を感じる赤色の鮮やかなスープだとか、確実に未開の地の部族が食べていそうなものだとか、シェフの気が狂ったとしか思えない雑多さだった。
(……見ただけで食欲なくなるんですけど)
スプーン・フォーク・ナイフ・箸をまとめて渡され、どうしたものかと思案する。ちらりとジョットを見れば、相変わらずの緩んだ顔で骸の一挙一動をじっと観察していた。とにかく、何かしら食べないといけないらしい。
「……」
少し悩んだ末、端から順に一口ずつ食べることにして、机の角にギリギリ乗っかっていたロールキャベツをナイフで一口大に切り分けて口に運ぶ。骸の様子を観察していたジョットは、その優雅な所作に感心しながらも、あまりおいしそうな感じではないなと思った。
実際ロールキャベツを咀嚼しながら、骸は少し困っていた。
(キャベツとトマトと肉とその他調味料の味がするとしか……)
そもそも骸は食事に関心がない。生きるために食べる必要があるから食べるだけ。口に入ればそれでいい、くらいにしか考えていないのだ。『おいしい』の概念すらないのだから、好みも何もない。だからこの時の感想も淡泊なものだ。
結論から言えば、
「ロールキャベツの味がします」
だけである。ジョットも半ば予想済みだったようで、あぁやっぱりか、とでも言いたげな苦笑をこぼしていた。
(どれも同じでしょうに)
それでも律義に隣の皿に手をのばす。これから同じことをどれだけ繰り返せばいいのかと思うと、どっと疲れた。
大量の料理のうち約半分を過ぎた頃、一つの皿を手にして骸の手が止まった。
「……?」
他の料理がいかにも料理人が作ったような凝ったものなのに対し、その皿だけは少し違っていた。少しと言うか、かなり。あえて料理名をあげるなら、スクランブルエッグかオムレツあたりで、とにかく卵を掻き混ぜながら焼いて盛っただけという印象だ。
じぃっとそれに見入っている骸の様子を見て、ジョットはだらだらと冷や汗を流していたのだが、そんな挙動不審なジョットに気付いた風もなく、骸はあっさりと一口頬張った。
「……」
もぐもぐ動く頬をジョットはいつになく真剣な目で見つめていた。これこそ卵の味がするとしか言いようがない料理だろうな、と半ば諦めながら。
「よく、わかりません」
飲み込んでから少し経って骸の口から出たのは、予想外の言葉だった。
「え?」
「よく……わからないのです」
骸自身予想外だったらしく、戸惑ったように言葉を濁す。
(何かに似ている……。そう、あれは夢の中で)
「あぁ、そうだ。千種の料理と同じ」
手が自然に動いて、二口、三口、と食べていくうちに、いつの間にか皿の上は空になっていた。
「……おいしかった、でいいんでしょうか…」
これが『おいしい』ということなのかはよくわからないが、また食べたいと思ったのは確かだった。
「おいしかったか!? 本当に!?」
ジョットが飛び上がらんばかりの勢いで喜色を全面に押し出し、そのまま実際骸に飛び付いた。
「な、にするんですかっ」
突然の行動に慌てた骸が手足をバタバタさせるが、ジョットの力強い腕がしっかりと骸の背を抱え込んで離さない。
「今の俺の気持ち!」
ぎゅっと抱きしめながら、骸の頭を撫でる。子猫にするように、優しく何度も。
「……!」
その感触と暖かさには覚えがあった。絶対の安心と信頼。自分にはついぞ縁のない感覚。まどろみの中で感じたものと全く同じだった。
(……家族……か)
慣れない感情に戸惑いながらも、ジョットの背中に腕をまわし、窺うように少しずつ力を込める。
「うっ……!?」
しかし、雷に打たれたような痛みが右目を襲い、骸の身体が強張った。
「骸!?」
驚いてジョットが身体を離し、骸の顔を覗き込む。右目を押さえた骸は、何かを堪えるように歯を食いしばっていた。その手の隙間からはまるで涙のように血が溢れている。
「くぅぁあ!」
「骸! 待ってろ、今医者を呼んでくるからな!」
明らかに様子のおかしい骸に、ジョットが慌てて部屋を飛び出す。
「ボス、どうしました!?」
開け放たれたままの入口から、守衛の慌てた声が聞こえたが、ジョットは目もくれず走り去った。
「うぐ……ぁ……っ」
絶え間無く続く激痛の裏で、意識の奥から膨大な記憶の波が骸を襲っていた。遥か昔から延々と続く赤黒い歴史。生まれた瞬間の裏切り。悲鳴。罵倒。信じるな、忘れるなと、右目が疼く。疼いて痛んで、心を黒く蝕んでいく。
「中で何かあったのか?」
守衛の声が聞こえる。
(見るな……!)
キィ、と微かな音とともに、黒い服の男が部屋へ入ってくる。右目を押さえて耐える骸を視界に入れると、一瞬驚いたように固まり、すぐに骸の方へ駆け寄る。
(やめろ!)
「おい、大丈夫か?」
その口から出て来た言葉は、ありふれた労り。しかし、肩を掴む手は暖かい。ジョットと同じ、優しい温もり。そこにあるのは憎しみなどではなく――。
(どうしてどうしてどうして! 僕が憎いのだろう……殺したいのだろう……? なのにどうして? 気持ち悪い。吐き気がする……!)
「……裏切り者」
ヴンッ
右目が羽音を立てた。
「先生、早く!」
廊下を駆けながら、後ろを振り返る。初老の医者は早々に息があがり、先を行くジョットよりかなり遅れていた。いっそ担いで運びたいくらいのもどかしさを感じながら、早く早くと急かす。何か嫌な予感がやまないのだ。
「骸……!」
医者は何度か骸を看ているし、ここまで来れば部屋まで迷うことはないだろうと、いてもたってもいられなくなったジョットは走り出した。赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下を駆け抜け、角を曲がる。
一番奥の骸の部屋の前には守衛がいなかった。しかし深く考える暇もないまま、部屋の中に駆け込む。
「むく――っ?」
苦しんでいたはずの骸は、ベッドから少し離れたところに静かに立っていた。あたりには料理が散乱していたが、骸の身体は汚れていない。右の頬に血の跡を貼付けたまま、ただ静かに佇んでいた。
「ほら、やっぱり嘘だった」
骸の指がジョットの背後を指す。
「……?」
ジョットが振り返ると、そこには――
「ああぁぁぁああぁぁっ!!」
ズガンっ
野太い声とともに、守衛だった男の手から一発の弾丸が放たれる。
(骸を狙っ――)
長く引き延ばされたような一瞬の中で、ジョットは見た。男の光のない目と、嗤う骸の寂しげな瞳を。
(くそっ)
息を吸う間もなく、ただただ身体を動かす。弾道を塞ぐように。骸の前に立ちはだかるように。
「っ!!」
刹那、ジョットの額に炎が生まれ、その炎に触れた弾は鈍い音をたてて溶け落ちた。
「はぁっはぁっ……はっ……」
「……ボ……ス?」
途端に、男の手から銃がすべるように落下する。男は目を見開いて呆然としたまま、ぶるぶると震え出した。
「お、俺は……どうして……? な、何が……ボス!?」
がくがくと頭を揺らし、尋常じゃないほど目を剥いている。
「いい。いいんだ。お前のせいじゃない。自分を責めるな」
「ボス……申し訳……ありま……!」
男は、糸が切れた操り人形のようにずしゃりと倒れ、気絶した。
「――偽善者」
静かな、しかし確かな声音がジョットを突き刺した。
「骸……?」
振り返れば、波のない湖畔のような骸の瞳が、ジョットを冷たく見据えていた。
「僕が憎いなら殺せばいい」
「骸、何を――」
「しらばっくれないでください。その男も、あなたも、嘘ばかりだ」
骸は淡々と続ける。その紅い目はまるで心が流した血のようで、蒼い目は心を護る氷の色だった。
「暖かいのも嘘。心地良いのも嘘。優しいのも嘘。嬉しいのも嘘。家族なんて嘘。何もかも嘘!」
「骸!!」
「あなただって僕が憎いんでしょう! もう嫌です、今すぐ僕を殺して、ジョット!!」
パシィッ……ン
乾いた音を響かせて、ジョットの掌が骸の頬を全力で叩いていた。
とさっ、と軽い音を立てて骸の小さな身体が床に尻餅をつく形で倒れると、骸は呆然と頬を押さえた。
「このっ馬鹿!!」
びくりと骸の肩が大きく震えるほどの大音声でジョットが怒鳴った。そうして心配をかけた子供を叱る親のように、ぽたぽたと涙を流しながら骸を抱き寄せる。
「馬鹿馬鹿馬鹿! ついでに馬鹿!!」
ひとしきり大声を上げると、痛いくらいに腕に力をこめて、骸をぎゅっと強く抱きしめた。
「簡単に死のうとするなよ! もっとちゃんと、今を見ろよ! お前は今を生きてるんだ! 過去でも未来でもない、今を! 俺と一緒の今を!!」
骸の身体に力が入る。ジョットの言葉が、黒いもので膨らんだ心をえぐっていくのがわかる。汚いものを全部さらって、柔らかな風が通っていくような、そんな感覚に包まれた。
「なあ、今、こんなに暖かいのは嘘か? お前自身の涙すら嘘なのか?」
「……!」
気付けば、骸の紅い目からは透明な色をした雫がぽたぽたと滴っていた。血の色しか流さない、この右目が。
「嘘なんかじゃないだろ!? お前が俺の作ったオムレツをおいしいって言ってくれたのも、それがすごく嬉しかったのも、嘘だなんて言わせない」
あの時おいしいと思えたのは、きっと家族が作ったから。他の誰でもない、ジョットが作ったものだから、あんなにもおいしかったのだ。
「大体なんだよ、初めて名前呼ぶのがあんなんとかさぁ! 俺、楽しみにしてたんだぞっ」
「……ジョット」
「今名前呼ぶのは反則だ馬鹿っ」
「ジョット、ジョット……」
「うぅっ! 何回呼んだって許さないからな!」
「ジョット」
「一生かかっても許さないからな!」
「許してもらわなくてもいいです。ただ、側にいられるなら、それでいい。愛してくれるなら、それでいい」
「当たり前だ、馬鹿骸……!」
「なぁ骸。俺から言っといてなんだけど、本当にいいのか?」
隣に立つ長身の男の胸板あたりを見ながらジョットは尋ねた。
「いいんです。マフィアは嫌いですが、ボンゴレファミリーはあなたの家族でしょう? 僕だってあなたの家族ですから」
大きな扉を前にして、骸は低く堂々と言った。ジョットを信じて共に歩むと決めた以上、もう迷いはない。
「それより、こっちの目線に合わせるの、やめてくれませんか」
「そうは言ってもさぁ」
今骸は幻覚を使って大人の姿をしているが、ジョットはそちらの骸の目ではなく、いつもの高さの、本当の骸の目を見ていた。それは端から見れば奇妙な光景だろう。
「大体、なんでその格好なんだよ? 部下の前ならともかく、守護者のみんなはお前の本当の姿を知ってるんだし、今更隠さなくても……」
あのあと、銃声を聞いた守護者たちが部屋に押しかけ、その際に子供の姿の骸をはっきりと見ていた。
「……だからこそ嫌なんですよ」
そう、骸とジョットが抱き合っているのをしっかりと見られてしまったのだ。しかも涙まで。ジョットは気にした風もなく純粋に家族と分かり合えたことを喜んでいるようだが、骸からすれば羞恥の極みだ。
「まぁお前の好きにすればいいけどさ、なんでそんなに背ぇ高く設定すんの」
ただでさえ小柄な部類に入るジョットは、今の長身の骸と並ぶとそれが余計に際立って、まるで大人と子供のようだ。守護者連中は皆体格に恵まれているので見下ろされるのには慣れているが、ついさっきまで腕の中にすっぽり収まっていた骸が急に大きくなると、どうにも複雑だった。
「いつものあなたと僕の身長差をそのまま逆にしただけですよ。仮にも守護者になるんですから、守護する者が守護される者より小さいと格好がつかないでしょう?」
「あ、そう……」
骸の変なこだわりのおかげで、ジョットの劣等感は膨らむ一方だった。
ちなみに、次の日大量の牛乳を買い占めて飲みまくったあげく大変なことになったのは、また別の話。
「わかったら、ちゃんと僕の目を見てくださいよ」
「見てるだろ」
「見てないじゃないですか」
「見てないけど見てるだろ」
「見られてますけど見てほしくありません」
わけのわからない会話を交わしながら、扉を開ける。
この先に進めば、骸は正式に霧の守護者になる。
後悔は、ない。
「……なぁ、本当に、いいのか」
「ええ。あなただけは、僕が護ってみせますよ」
「まったく、それはこっちの台詞だっての!」
目に見えぬ眩しい光を感じながら、骸は確かな足取りで扉をくぐった。
さあ、前へ。
その先にきっと、望んだ未来がある――。
骸さんが霧の守護者になるまでのお話でした。黒曜の子たちは好きなんです。好きなんですけれど、来世で幸せになって下さい……。
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2008.4.1