03
「なんだよ、雲の守護者は欠席か?」
せっかくうまい説明を考えたのに、とジョットがぼやいた。
「まぁそう言うなよ。こんだけ集まったのも久しぶりなんだしさ」
と朗らかに言ったのは、円卓のジョットの左隣に座る雨の守護者。侍衣装に刀を挿した日本人で明らかにこの場でもイタリア全土でも浮いているのは確実だが、本人は全く気にしていないようだ。
「てめー! ボスに向かってなんて口の聞き方を!」
ジョットの右隣に座る嵐の守護者が即座に噛み付いた。
(そういうところが犬っぽいって言われるんだよな)
しばしば番犬などと呼ばれる彼は、こういったことが原因のひとつだということに全く気付いていないようだ。
「いいからいいから。とにかく会議始めるぞ」
日常茶飯事なので軽く流したが、嵐のぎらついた視線はまだ雨に向けられていた。とりあえずそちらは無視することにして、会議を進める。
「今日集まってもらったのは、空席になっている霧の守護者の件なんだが――」
「おお! ようやく適任者がいたのか!?」
雨の守護者の隣に座った男が嬉しそうに言った。笑顔が眩しい彼は晴の守護者だ。この場にいるメンバーの中では一番年上で、面倒見の良い兄貴分だった。裏表のない笑顔からは、純粋に仲間が増えることを喜んでいるのが伺える。
「まだろくに話してもないんだけど、霧の守護者に相応しいのはあいつしかいないって俺の勘が言ってる」
段々隣に座る嵐の守護者の顔が引き攣ってきた。
「ま、まさかボス……」
思わず呻くが、ジョットは聞こえているのかいないのか、嬉しそうに笑った。
「雷より若いぞ」
嵐の守護者は、あぁやっぱり、と頭を抱え、その隣に座る雷の守護者は、えぇっ、と戸惑ったような声を上げた。今年15になったばかりの雷の守護者はボンゴレファミリーの中でも最年少で、皆に弟のように可愛がられてきたせいか、若いというより幼いという印象が強い。部下にすらいじられ、威厳などとは無縁だった。
「ボス、あいつを霧の守護者にする気ですか!?」
「なんだ、お前もうその候補に会ったのか?」
そう言ったのは雨の守護者だったが、雷の守護者も興味深々といった様子だ。
「……会ったというか、まだ寝てるのを見ただけだけど」
深く溜息を着いて、どうしたものかと頭を抱えた。
「は? 寝てる?」
雷と雨、両守護者とも首をひねったが、嵐の守護者はそれどころではないようだった。
「いやまぁ、ちょっといろいろあってさ。雲の土地で一悶着あったのは知ってるだろ? あれに絡んでる」
いろいろ複雑なんだ、とジョットは苦笑した。
と、
ココン
急いたノックが響く。守護者の会議中は余程のことがないかぎり邪魔しないというルールだったが、どうやら急を要するようだ。
「どうぞ」
あのノックは嵐んとこの補佐官だな、などと思いながら入室を促す。
礼儀正しく、しかし素早く入って来たのは、予想に違わず嵐の守護者の補佐として見慣れた男だった。
「会議中失礼いたします。至急お耳にお入れしたいことがありまして」
すっと嵐の守護者の横に移動し、耳元に口を持っていく。
「あぁ、直接この場で報告していいよ。守護者のみんなに隠し事はナシだ」
それぞれの守護者が部下の報告を聞き、よく吟味してからボスに報告するのが常だったが、守護者しかいないこの場ではじれったいだけだ。
「はい、ではご報告を。あの少年がいなくなりました」
実にシンプルな報告だったが、ジョットの顔はみるみる歪んでいった。
「……あんのバカ! ケガだって治ってないのに!」
自分の顔を片手で覆うが、ボスの動揺は明らかだ。
「それで?」
ボスの代わりに右腕が先を促す。
「突然大きな声がしたので入りましたら、彼の絵とともに消えておりました。調度窓の下あたりを回っていた守衛によれば、窓から飛び降りた少年が霧にまぎれるように消えたそうです」
いつかの光景と重なって、ジョットはまた頭を抱えた。
「それと、これは私の推測でしかありませんが、少年の部屋から聞こえた声。私の耳には、行かないで、とそのように聞こえました」
ジョットはハッと顔を上げた。彼をひとりにすべきではなかったか。
「行き先はあの街かもしれません。もしそうだとするならば、もうひとつ報告せねばならないことがあります」
「なんだ?」
「本日欠席の雲の守護者をあの街で見掛けた者がおります」
ガタンっ、と激しく音をたててジョットが立ち上がった。
様々な色に溢れ、燃える紅にうめつくされ、そして今はどこまでも黒い。
この街はたったの7日間で随分と様変わりしてしまった。
家であったことがかろうじてわかるガレキとそうでないガレキの中を、足が動くままに歩く。
「ただいま」
他と大差ないガレキと化した、紅い部屋。今はただ黒く、焼け焦げた嫌な臭いが鼻につくだけだった。
炭化して転がっている扉だった板をまたぎ、あの日と同じように部屋を見回す。目を閉じて記憶をあさり、あの部屋にあった彼らの物をひとつひとつ思い浮かべた。
彼らが骸を想って集めた、ささやかな宝物たち。純粋な想いの結晶。
(……何をしているんでしょうかね、僕は)
目を開ければ、そこに広がるあの日の光景。
幻で形成された、『紅』を目指した部屋。ただひとつ、あの絵が貼ってあった場所だけがぽっかりと抜けている以外、寸分違わずあの日のままだ。
「僕はどうしても認められないみたいです」
そこへ持っていた本物の絵をかざす。画鋲は酸化してボロボロになって転がっていたが、尖った先端は健在で、きちんと壁に絵を留めることができた。
「部屋を元に戻したって、お前達は戻らないのにね……」
どうしてですかね、と独り苦笑した。
「何をしてるの」
「――っ!?」
突然の殺気に反射的に身体が動いて、背後からの一撃を避けた。しかしバランスを崩して立っていられず、横に倒れ込む。
「くぅ……!!」
咄嗟のことで下にしてしまった左肩の傷が激痛を訴えてくるが、強引に意識外に追いやって身体をひねりつつなんとか距離を取る。
「へぇ。その身のこなしに肩の傷、そして何より紅い右目」
視界に入った加害者は、上から下までが全て漆黒で統一されていた。さらりとした黒髪に気品のある顔立ち。その中で、ただ吸い込まれそうな黒い目がぎらぎらと獰猛さを主張していた。
「君だよね、この街焼いたの」
それはもはや疑問型ですらない。意味のない確認。獲物を前にした舌なめずりと同じ。
「……そういうあなたは何者ですか」
尋ねながら相手の武器を視認する。右と左に1本ずつ、両腕にそうように金属性の棒がのびていた。肘を越えるくらいの長さのそれには見覚えがある。
(トンファーか)
あれに撲殺された経験はないが、その威力は過去に――前世に経験済みだった。その時はただの青痣で済んだが、今回はその時とは使い手の能力が段違いだ。体格差もあることから、当たり所によっては一撃で致命傷になりかねない。先程の一撃にしても、三叉剣で受けていたら腕が骨折していただろう。それほどに重く、容赦のない攻撃だった。そうなるとトンファーの攻撃に対する対応は限られてくる。体力の回復していない軋む身体に、依然として痛む左肩は圧倒的に不利だ。
「君に名乗るような名はないんだけど、そうだね……ボンゴレの雲――って言ったらわかるんじゃない?」
ぴくっ、と骸の肩が震えた。聞き覚えのある通称だった。
「ク、フフ、そう……そうですか」
これは偶然なのだろうか。それとも、
(お前達が引き合わせたのですか? 僕に仇を取れとでも?)
ちらりと壁に貼った絵に視線をやるが、答えはない。
「君のせいで僕の街まで火の手が回ってね。おかげで風下の建物が5軒、丸焦げ。2度と悪戯しないように、身体に叩き込んであげるよ」
子供相手でも容赦しない、とその眼に獰猛な光を宿す。殺気が膨れ上がっているのを肌で感じながら、骸は右目に手を添えた。
「……こちらとしても、あなたに叩き込んでやりたいことがあるのでね」
ぐじゅ、と湿った音が響く。音と痛みとを直接感じながら、骸は右目に突っ込んだ指を動かした。
「クフフ。こちらの方がやりやすいでしょう?」
右目から指を離した時、そこにいたのは子供などではなく、さらりとした紺色の髪を細く緩く束ねた長身の男。雲の守護者より高い位置にある目は、左は青で右が紅。その紅く深い右目の中には、五の文字が浮かんでいる。黒をベースにした、身体にフィットした服に身を包んでいる。顔のつくりと雰囲気だけが、かろうじて同一人物だと窺わせていた。
「……ワォ。手品師だったのかい?」
「タネも仕掛けもありませんがねっ」
ひゅっ、と風切り音を立てて手を振ると同時に骸が距離を詰める。その手には三叉剣が先端についた槍が出現していた。骸の長身より更に長い長槍。その槍を一直線に雲の首目掛けて突き出す。
ガィンっ
右のトンファーにより軌道を逸らされ、金属の擦れる音だけが残る。
(重い……!)
明らかに子供の力ではない。流れた身体を利用して身体を一回転させ、遠心力を付加した左のトンファーを繰り出す。
再び金属音が響き、しかしそれだけだった。三叉槍とトンファーが拮抗し、二人の顔の間でギリギリとせめぎ合っている。
「……本当にタネも仕掛けもないみたいだね」
互いににやりと笑みを浮かべ、同時に跳び退る。
距離を取って着地したと同時に骸が槍を回転させ、地面を叩いた。
「――!?」
すると焦げた床が割れ、その隙間から火柱が噴き出した。
ぢりっ、と音を立てて炎が雲の頬を掠める。その一瞬の間に、骸の姿が視界から消える。
ギィン!
ほとんど反射的にトンファーが閃き、後方からの槍を受け止める。
「ちぃっ…」
骸が舌打ちをし、再び距離をとった。
「訂正。手品師じゃなくて魔術師か何かかい?」
火傷を負った頬はひりひりと痛むが、裂けたはずの床は何事もなかったかのように平坦な焦げ目をさらしている。
「君、面白いね」
「それはどうも」
互いに好戦的な笑みを深めて駆け出したのは、同時。骸の方がリーチがある分早く攻撃に移るが、雲は全く勢いを緩めぬまま身を屈め、その一撃をやり過ごしつつ懐に入る。右のトンファーを最小限の動きで骸の顎目掛けて突き出した。
「……っ!」
しかし狙い通りに骸を捉えたと思ったトンファーは何の手応えもなく骸の頭を擦り抜け、雲の身体は勢いのまま前に流れた。
不審に思う暇もないまま右側に膨れ上がる殺気を感じ、即座に雲は身体を捻りつつ転がる。一瞬前まで雲の首があった空間を、正確に槍が貫いた。雲が体勢を立て直す間に、骸は再び距離を詰め、素早く凪ぐ。
ひゅっ
それは雲の黒い服の端を切り裂くに止まり、雲は直前に後転の要領で下がった地を踏み締めて、骸の方へ跳んだ。
「……!」
雲の仕掛けた体当たりをまともに受け、骸の身体が吹っ飛んだ。その身が地に落ちるのを待たず、雲がトンファーを振りかぶりながら接近してくる。
「何!?」
しかし雲が骸をリーチ内に捉えた瞬間、どこからともなく大蛇が現れ、雲の視界を覆った。
瞬時に左のトンファーで大蛇を跳ね退け、右のトンファーを骸に突き出す。しかしその一撃は壁に叩き付けられたはずの骸を素通りし、壁だけを粉砕する。
砕けた壁の奥、細かく砕かれた破片に隠れながら骸が槍を振りかぶっているのが見えた。破片で傷を負いながらも、骸が槍を突き出す。
「――ぁ!!」
雲は空中で強引に身を捻ったが、骸の槍は正確に雲の左肩を貫いた。
「っ!」
雲は肩を貫かれながらも右足を高く蹴り上げ、骸の槍を跳ね飛ばす。骸は一旦跳び退って距離を取り、跳ね飛ばされた槍を拾う。雲もまた同時に距離を取って、家2軒分の瓦礫を挟んで、2人は睨み合った。
「クフフ、ハンデが無くなりましたね」
「何言ってんの。さっきので肋骨1本イってるくせに」
互いに痛みを表に出さないまま不敵に嗤う。根本的な部分で二人は似通っていた。
(全く。厄介な男だ)
同族嫌悪だとは認めたくないが、それ以外にないだろう苦い思いが胸の底にわだかまっていた。直接的ではなくとも、彼らの仇であることも自分と同じ。実力も拮抗している。
(今の僕には相応しい相手ですかね)
自嘲気味に顔を歪めるが、瞬間、右目が発した軋むような激痛が脳を揺さぶった。
「……!!」
呻くのを必死に堪え、強い眼光を雲に注ぎ続けたが、冷や汗が頬を伝う。
(時間切れ……か)
今の骸の身体は第五の道、人間道によるもの。有幻覚とも言える、偽りにして現実の身体。その発現によって、骸の右目は限界を迎えつつあった。
そう長くはもたないだろう。そして子供の身体ではまず勝てない。
ぎり、と音がするほどに槍を握りしめ、絶え間無い痛みを振り払うように駆け出す。雲の守護者もまたトンファーを握りしめて接近してきた。左肩の傷のせいか、若干左が下がり気味だが、その力は衰えてはいないだろう。
互いが互いの間合いに入り、激しく攻撃を重ねる。断続的な金属音だけが響き渡った。
「……っ!」
打ち合いのさなか、骸の右目が耐え難い激痛を発した。途端身体が強張り、一瞬の隙が生まれる。それを見逃す相手ではなく、渾身の一撃が骸の頭上から振り下ろされるのが視界にうつる。
(まだ――っ)
意志の力のみで身体を動かし、凄まじい勢いで迫るトンファーを槍の柄で受け止める。
「僕は――」
ぎりぎりと揺れる2つの得物を見つめ、骸が呟く。
「負けるわけには一一一」
叫ぶ骸の手から、槍が霧になって消える。全力で押していたトンファーが急に支えをなくしたことで、雲の身体ごと前へ流れる。
「いかないんですよ!!」
トンファーを首の付け根あたりに受けながらも、右手に出現した新たな槍を突き出した。
「……!!」
雲の左手が動き、トンファーがかろうじて槍の軌道を遮るが、カウンター気味に入った槍はそのまま雲の身体を後方へと吹き飛ばす。
「……ちっ!」
舌打ちをしながら、雲は空中で体勢を立て直しつつ着地に備えた――が。
「な……!?」
地に付くはずの足は予想に反して空を切った。雲の足元、確かにあったはずの平らな面は、いつのまにか下り階段になっていた。
骸の幻覚。
一つの布石として配された、小さな罠だった。
バランスを崩した雲は、勢いを殺し切れずに背中で階段を下り、仰向けで倒れる形になる。
「もらった!!」
骸の身体が空中を踊る。振り上げられた槍とともに、真っ直ぐ雲の身体目掛けて降ってくる。
「っ!!」
雲が身体を起こすが、足が動かない。避けることも防ぐことも不可能だ。
ならば、とトンファーを限界まで振りかぶり、激突の瞬間を待つ。
(負けるのはごめんだよ!)
ただその一念が、雲に自らの死をも厭わぬ攻撃を選ばせた。互いに、相手を殺すことだけを考えた一瞬、武器が交差し、互いの胸を貫こうと襲い掛かる。
しかし――
がきぃ!!
「「何!?」」
「……何をしてるんだ」
トンファーも三叉槍も、横からのびてきたグローブによって動きを止められていた。
その手の持ち主は、ふわりとした蜂蜜色のくせ毛の、小柄な男。ボンゴレファミリーのボス、ジョットであった。その額と手からは、眩しいほどの炎を立ち上らせて、澄んだ瞳は炎の照り返しを受けてゆらゆらと橙色に輝き、二人を交互に見つめた。
「命を粗末にするなよ」
そんな在り来りの言葉に、骸は胸の奥に暗い炎が燻るのを感じた。
「ぐぅ……くっ……!」
それに呼応したように右目が耐え難くうずく。もう限界だった。
「あ、あなたに……っ」
痛みで有幻覚を保つことができず、身体が透けるように消えていく。槍も剣すらも光に溶けた。
「あなたに何がわかるっ!」
吠えたその声はもう大人のそれではなく、子供特有のボーイソプラノだった。
血の滴る右目を押さえながらも、強くジョットを睨み付ける。身体が動かないどころか、痛みで意識が遠のこうとするのを堪えるので精一杯だった。
しかしジョットは気にした風もなく、静かに口を開く。
「少なくとも、お前が迷子だってことはわかるよ」
至る所から血を滲ませた骸を悲しげに見つめて優しく言った。額と手に浮かぶ炎は徐々に弱くなり、消えていく。
「クハっ、迷子?」
何を言っているのか、と骸が嘲りを込めて嗤った。言うに事欠いて迷子とは。
「……俺には、お前がまるで死に場所を探しているように見える」
骸の手が微かに震えた。自身の身体が反応してしまったことが骸をさらに苛立たせる。
「……何も知らないくせに――」
自然声が低くなるが、ソプラノがアルトになっただけだった。今の骸は右目の能力を使えない。身体は非力な子供の身体であり、重傷だ。『無力』…その言葉が嫌に重くのしかかってきた。
「知った風な口を聞かないでください!!」
胸の奥で暗い炎が燻るように、内側から熱が侵食していく気がした。熱くて焼けそうで、なのに真っ暗で。何も見えない。焦げつくような痛みだけがじわじわと身を焦がす。破壊衝動にも似た何かが、この男を殺せと叫んでいた。
「確かに俺は、お前のことを何ひとつ知らない。でも、だからこそ、お前のことが知りたいんだ」
ジョットは骸の殺気に気付きながらも、手を広げて骸を迎えるように微笑む。
「死に場所はあげられないけど、生きる場所ならここにある。俺の家族にならないか?」
骸の身体が凍り付いたように固まった。何を言っているのかがわからない。言葉として入って来ても、理解することができない。
(……? ……!?)
困惑する骸の頭を、ジョットの手が優しく撫でる。武骨なグローブごしだが、暖かさのようなものを感じて、余計に骸を困惑させた。
「……な……は!?」
ぱくぱくと金魚のように口を開閉しながらも言葉を出せないでいる骸を、愛おしむように見つめる。その眼がどこまでも真っ直ぐで、信じられないくらいに優しくて、骸は何も考えられなくなっていた。
(わからない、わからない……!)
骸は内心怯えていた。気付かぬうちに右目を抑える手を握りしめていた。その痛みさえも、今の骸には理解できなかった。
「あぁ、大丈夫、大丈夫だから」
右目の血が滴り落ちる手を、ジョットの武骨なグローブが覆う。小刻みに震えていた小さな手は、いとも簡単に右目から外れた。呆然と見開かれた紅い瞳は、血まみれになりながらもジョットの濃い蜂蜜色の瞳を見つめていた。疑問と戸惑いと、未知への恐怖とがないまぜになって、ぐるぐると渦をまく。
「たくさんたくさん話そう。知らないことも、わからないことも、これから話せばいいんだ」
骸の小さな身体をジョットの手が優しく引き寄せる。
(抵抗しろ……! 受け入れるな! 早くっ――)
骸の思いと裏腹に、傷付いた身体は動こうとしない。柔らかな何かに押さえ付けられて、息苦しさすら感じる。ただ、背中に回された腕だけが暖かく、心地良かった。
「だから、うちにおいで」
骸は動けないままに、ジョットの腕の中に納められていた。全身を包みこむような温もりに目眩がする。
「……どうして……あなたは――」
ゆらゆらとまどろみながら、蒼い眼はジョットを見上げる。骸の身体は限界だった。意識を保つことさえ難しい。しかしそれでも、他人の腕の中で眠るなど、骸にとっては信じられないことだった。
何より、許せないことだったのに。
「俺はジョットっていうんだ。次に起きたら、その時はお前の名前を教えてくれ」
ゆっくりお休み、と囁く声は、骸の沈む意識に確かに浸透して消えた。
「――なんか、僕がいじめたみたいじゃない」
不満げな声を上げたのは、骸同様重傷の雲の守護者だった。その細く吊り上がった目は、ジョットの胸で安らかに眠る骸を無感動に見つめていた。
「いじめたみたいも何も、実際いじめてたでしょうに」
ジョットが朗らかに笑った。ずっと昔から、年上の雲の守護者と晴の守護者にだけは敬語だったせいか、一応ボスとして上に立つことになった今でもそのままだった。しきたりやルールに厳しい嵐の守護者はしばしば嘆いていたが。
むっ、と顔をしかめる雲に、相変わらずだなぁと笑みを深めた。
「冗談ですよ。ケガ、大丈夫ですか?」
「……ふん。そんなことより、さっきの本気?」
倒れてもおかしくない傷なのに、すくっと危なげなく立った雲は、若干眉を寄せて尋ねる。
「もちろん。霧の守護者はこの子しかいないと思ってます」
「実力的には申し分ないと思うけど、本人がマフィアなんて嫌がるんじゃないの」
ガレキの隙間からかすかに覗く、丘の上の原形を留めない黒い巨大な塊を見遣る。つい先週まではあまりセンスがいいとは言えない屋敷が建っていたのだが、それを中にいたマフィアごと燃やし尽くしたのは、今は子供らしい寝顔を浮かべるその子供なのだ。少なからずマフィアを憎んでいる彼が、新参ではあるがれっきとしたマフィアであるボンゴレファミリーの幹部になどなるはずがない。
「そうなったらそうなったで、霧の守護者は空席のまま、この子は俺個人の家族として暮らせばいい。無理にマフィアになれとは言いませんよ。ただ――」
そっと骸の軽い身体を抱き上げる。さらりとした紺色の髪が頬に当たって、少しくすぐったかった。
「この子は普通とは違う。たぶんもう、普通の暮らしはできないと思うんです。そんなときに、ボンゴレファミリーがこの子を守る隠れ蓑になってくれれば。そう思っています」
骸の頬を撫でる。子供らしいふっくらとしたそれは柔らかくて気持ちいい。しかし、撫でたその手はぬるりとした骸の血で紅く染まった。
「……好きにすれば」
声に呆れを含ませながら、フラつく足を動かす。
「屋敷に来ないんですか?」
「行かないよ。守護者連中が群れると騒がしいからね」
確かに、とひそかに同意してジョットは苦笑した。
守護者は皆一癖ある者ばかりで、しかも気心の知れた仲であるせいか、一同に会すと大層賑やかだった。ジョットはそんな彼らを愛していたが、群れを嫌う雲の守護者には耐えられない光景だろう。これまで会議中にトンファーが飛び出したことも、1度や2度ではなかった。
「ほら、1番うるさいのが迎えに来たよ」
顎をしゃくって指した先を見れば、嵐の守護者がこちらに走ってくるのが見えた。何か叫んでいるようだが、ガレキを退かしながら来るので、音が紛れて判別できない。彼の性格から想像するに、おそらく『ボスー! なんで雲のヤツなんかと一緒にいるんスか!!』あたりだろう。
「あぁ、そうだ」
そんな嵐を軽く無視して、雲はどこからともなくマリア像を取り出した。いつのまにかなくなっていたトンファーといい、一体彼の服の下はどうなっているのだろうか。
「これ、その子供に渡しておいて」
渡されたそれは、骸が持っていたはずの紅いローブを着たマリア像だった。
「ガレキの下からもう一個見つかったから、それはもういらない」
それだけ言うと、雲はさっさと歩き去ってしまった。
(ひょっとして最初からこれを渡すために来たのかな)
素直じゃないなぁ、と笑う背中に、嵐の守護者の声がかけられた。
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