02
街外れの小さな酒場。店内に10ある古びたテーブルは、酔いどれた男たちでうまっていた。
「ぎゃははは!! なんだよ、それでお前尻尾巻いて逃げ帰って来たってのか!?」
バッカじゃねぇの、とテーブルをばしばしと叩きながら笑う男たちをちらりと見やる。黒服を着込んでいること以外は、そこらにいるゴロツキと大差ない。
「そりゃボスには言えねぇよなぁ」
「当たり前だっ!」
(ボス……と言いましたね)
それにあの服は、着ている人物に違いがありすぎるものの、あの館にいた青年とよく似ていた。
「で、どうすんだよ? マズイもん残してきちまったんだろ?」
「――あぁ。よりにもよってボンゴレの雲んとこにだ」
逃げ帰って来たという男が急に声のトーンを落とした。それを聞いた瞬間、話を聞いていた方の男が途端に顔をしかめた。
「それはまずい。縄張り侵犯の証拠になるし、何より相手があの雲となると…」
(ボンゴレに、雲……?)
どうやら雲とはゴロツキに恐れられる人物の通称らしい、と分析する。
(ボンゴレとは、その雲とやらが所属する組織の名でしょうか。あの言い方からすると、同じような組織がいくつかあって、それぞれに縄張りを持ち対立しているようですが)
男たちはどうするどうする、と呻き合っている。余程雲という人物は恐れられているようだ。
「ちくしょう、あん時あのガキどもが邪魔しなけりゃこんなことには……!!」
(子供? まさかな……)
頭を過ぎった予感を即座に否定して、手にしたウィスキーをあおった。幻術で姿を変えた骸は、他人にはごく普通の成人男性にしか見えない。
(たかがゴロツキの紛争ごとき、首を突っ込むこともない)
代金をテーブルに置き、席を立つ。これ以上ここにいても、めぼしい情報は得られないだろう。
「ったく、あのトチ狂ったガキども、外側のマリア像だけ持って行きやがって。何が赤くてキレイ、だ!」
ぴたりと足を止める。嫌な予感が強くなっていくのを感じた。
(深入りはするな。無意味なことはするな。無視しろ! 外に出ろ! 僕には関係のないことだろう!)
そう念じても、足は動こうとしない。それどころか――
「あぁん? 何か用かい、美人の姉ちゃん」
男の目には、冷徹な美貌の女が映っていた。
(全く、幻術まで使って何をしているんでしょうかね、僕は……)
「その話、詳しく教えてくださらない?」
内心とはうらはらに、骸は極上の笑みを浮かべて見せた。
「雲の土地に麻薬!? それはまずいな……いろんな意味で」
ハニーブロンドを揺らし、唸る。そんなボスの姿を見て、灰銀の髪を持つ右腕は静かに同意した。
「はい。ルッツォファミリーの者の仕業らしいですが、あそことは同盟を組んだばかりです。ボスの指示ではないでしょう。しかし…」
「ああ。あの人、街の風紀を乱す者には容赦しないからな。早く手を打たないと、ファミリーごと潰しに行くかもしれない」
雲は気まぐれな男だが、愛する街のこととなると確実に行動を起こすのだ。
「街が好きなのはいいんだけどさぁ…」
そういうところも気に入っているが、こういう時には厄介だ。しかもボンゴレを守る守護者の中でも最強を誇る猛者なだけに、一度火がつくと手が付けられない。
マフィアという黒い世界に身を置きながらも割と平和な日々を送る彼らの悩みと言えば、雲の守護者が起こす問題をいかに彼の機嫌を損ねないで解決するかに尽きるくらいだ。それに比べれば、マフィア間の小競り合いなど子供の落書き処理みたいなものだった。
「しかし、確かけっこう前から裏で麻薬が出回ってたんだよな? ずっと証拠がなくて責めあぐねてただろ。よく尻尾を表したもんだ」
そう、本当は約1年ほど前から麻薬が出回っていた。監視の厳しい雲の土地ではすぐにその事実は知られることになったが、その証拠が掴めなかったために最後の一歩を踏み出せなかったのだ。
「それが、彼らはブツを赤いマリア像に隠して像ごと取引してたらしいんですが、何も知らない子供がそれを買ったとかで。子供の目当てはマリア像だけで、中身には興味がなかったんでしょうね。中身を捨ててるところを雲が見つけ、結果的に今の状況になったと」
「赤い、マリア像……?」
何か、何か言いようのないものが頭を過ぎった。この感覚には覚えがある。自分に宿る、常識を超えた直感が何かを訴えているのだ。
「――雲の守護者に伝達を」
ばぁん、と勢い良く木製のドアを開け放つ。朽ちかけたドアはその後もギシギシと不快な音を起てて揺れ続けた。
「これは……」
部屋に一歩足を踏み入れた骸は、感嘆ともつかない声をあげた。
赤い。真っ赤な部屋だ。
小さな小窓から差し込む夕日の橙がかった赤などあくまでおまけに過ぎなかった。夕日の降り注ぐ先が、すでに色とりどりの赤で埋まっていたからだ。赤や朱や紅のガラクタとしか言えない物たちが部屋をところせましと転がっている。
まだ摘んだばかりのけばけばしいほどの紅色の花や、ドライフラワー。どこからか拾って来たのか、黄色みの混じった赤いガラスのカケラ。店の看板らしき、鎖のついた赤いプレート。見事に染めあげられているものの、盛大に破れた真っ赤な絨毯。遥か昔に動きを止めたであろう赤い壁掛け時計。赤いワンピースを着た、片足のない人形。鋭利なスプリングが飛び出て座れない、くすんだ赤のソファー。壁一面に貼られたたくさんの絵。唯一、床に無造作に積まれたたくさんの本だけが赤い部屋に他の色彩を足していた。
(辞書……?)
その中には珍しい伊日辞書があった。試しにぺらぺらとめくると、あるページだけやたらと擦り切れてあとがついている。
(『六』――そうか、僕の右目の文字)
『六』の文字のところに、赤いクレヨンで丸がついていた。恐らく彼らが骸の右目に浮かぶ文字を調べたのだろう。よく覚えていたものだ。
(おや? 他にも印が)
まためくっていく内に赤丸を見つけた。今度は『犬』、『千』、『種』、それに『凪』に印がついている。
(この組み合わせは――)
先ほど目にした絵。4人の子供の姿が描かれているその絵の中に、その文字はあった。
「これは……」
絵の中の無表情な黒髪の子供の上には、定まらない線で確かに『千種』と書かれていた。無邪気に笑う金髪の子供の上にはよくわからない線で、かろうじて『犬』と読める文字が書かれていた。二人の間に挟まれた小さな黒髪の子供の上には、か細い線で『凪』と書かれていた。
間違いなく彼ら3人の姿だろう。
そしてもうひとり――。
(……)
彼ら3人の前に、紅と蒼の目を持つ紺色の髪の少年が描かれていた。他の3人よりも丹念に描かれた少年の特徴的な目の紅は、一体どのようにして描いたのか複雑で深い色をしていた。慈愛に満ちた笑みを浮かべ、優しく3人に手を差し延べている。
「……似てませんよ」
(僕にこんな表情ができるはずないでしょう)
自嘲の笑みを浮かべ、床に転がっていた赤いクレヨンを手に取る。似ていない骸の絵の上に、なめらかな線で『骸』と書いた。こうしただけで、なぜだか絵の中の少年がひどく自分に近づいたような、否、骸自身が絵の中の自分に近づけたような錯覚を覚える。
「千種に犬に凪、覚えてくださいね。僕の名前は骸」
六道骸ですよ、と呟いた骸の表情は、絵の中で微笑む少年と良く似ていた。
夜の闇が広がり、夕日の赤い光が月の蒼い光に変わっても、彼らは帰って来なかった。
(遅過ぎる)
蒼い光に照らされてぼんやりとうす紫に染まった絵を見る。変わらず微笑む4人の姿に窓の影が落ちて、1人と3人とに分けていた。
それがひどく気になって、骸は立ち上がって絵の四隅を留めている画鋲を引き抜いた。
(……感傷的になりすぎですかね。僕らしくもない)
その時、
ガタ……タ
「――!?」
ドアに何かがぶつかるような音だった。
ガタガタ ガタン
断続的に響くそれは、懸命にドアを開けようとしているようで。
(――!)
骸は瞬時にドアに駆け寄った。ノブに手をかけると、向こうからの力がかかっていたせいか一気にドアが内側に開く。
そして、小さな身体が倒れ込むようにのしかかってきた。
「な――!」
暗くて良く見えないが、さらりと靡く黒髪に軽すぎる身体、驚いたように骸を見上げる目。そのどれもが一つの事実を示していた。
「……凪?」
彼女を抱き留めた手が震える。ぜぃぜぃと荒い息に揺れる彼女の背中。そこで骸の手が何か硬い物に触れていた。
「やっと……会え、た……!」
信じられない想いで見開かれた凪の瞳が骸を捉えた。片方しかないその目で、血の紅に染まりながらも澄んだその目で、真っ直ぐに。
「凪……凪っ!」
身体が冷たい。あんなに温かかった彼女が、今はこんなにも、こんなにも――!
「けん、ち……くさ、わたし、会えた、よ……!」
揺れる一つの瞳には歓喜が溢れていた。右目を潰され、背中に無骨なナイフを生やしながらも、彼女は微笑んでいた。
「凪、喋らないで……!」
骸の声が震えた。
おかしい。自分が理解できない。長き時を生き、幾度も出会いと別れを繰り返してきたはずなのに。人の死など慣れていたはずなのに。自分の手はこんなにも血に塗れているのに。
(どうして今更、僕は――)
あらわになっている碧い左目と、白い眼帯に隠れた紅い右目が熱い。何かが溢れて、視界が曇る。彼女の姿を見なければならないのに。この目に焼き付けたいのに、視界が歪んで凪の顔がよく見えない。
「また、かくし、てる、のね」
凪の手がゆっくりと骸の右目にのびる。その手はゆらゆらと揺れながらも骸の眼帯にたどり着き、たどたどしく取り外した。
「こんな、に……キ、レイな……紅」
凪の急速に光を失っていく片目は、それでもしっかりと骸の右目を見つめていた。求め続けた紅が、そこにある。ただそれだけでこんなにも嬉しいなんて。
(わたし、しあわせ)
「ね。かく、さ…ない……で」
ぱたりと、小さな手から力が抜け落ちた。
「……な、ぎ」
小さく揺する。
「な、ぎ――凪、凪!」
小さな身体を揺する。何度も何度も。寝ている子を揺り起こすように。
寝坊だなんて、仕方のない子だと。
「起きて、凪」
起きて、起きて――。
「僕の名前、まだ言ってませんよ? 自己紹介も済んでない」
だから、起きて?
「ねえ、凪……」
カシャン、
凪の身体から何かが落ちて、壊れた。
凪の血の中に散らばるそれは、紅い。紅い服の、マリア像。それから、場違いに白い、粉。
「――凪、もう少しだけ寝ていてもいいですよ」
血のこびりついた手で、凪の黒髪を梳く。
「すぐ帰りますから、」
だからもう少しだけ、待っていて。
寝静まった街の路地に、二つの小さな身体が転がっていた。打ち捨てられた人形のような、傷だらけのぼろくすのような身体。
「千種、犬、こんなところで寝てたら風邪を引きますよ?」
仕方のない子たちですね、と二人の身体を抱きしめる。まるで氷を抱きしめているような冷たさだった。
かわいそうに、寒かったでしょうね。
「帰ったら、何か温かいものでも作ってあげますよ」
凪と一緒に、みんなで食べましょう。
だからもう少しだけ、待っていて。
街の外れにある、豪勢な屋敷。その数千という赤茶色のレンガを、今は紅い炎が包んでいた。
「ねえ、紅いマリア像はどこですか?」
ぱちぱちと炎の弾ける音を聞きながら、床を這う男に尋ねる。骸の右手には三叉の剣。その濡れた先端は、炎の光を受けててらてらと輝いていた。
「ねえ、紅いマリア像はどこですか?」
もう一度聞くが、男は震えてばかりでまともに答えてくれない。なぜ、とか、何が、とか、どうでもいいことばかり返してくる。全く、それ以外の言葉を知らないのだろうか。
「知らないなら、他をあたります」
どうでもよさそうに剣を振るうと、男の首は口をパクパクさせたまま転がった。
赤い絨毯に液体が広がる。いすれは黒になる紅だ。
パンっ、と背後から乾いた音が響く。何かが骸の左肩を貫通したようだが、それもまたどうでもいいことだった。
「ねえ、紅いマリア像はどこですか?」
その紅い瞳に狂気を滲ませて、骸は三叉の剣を振りかざした。
「赤い紅い朱い……」
炎が獣のように荒れ狂う屋敷を見上げ、歌うように言葉を紡ぐ。その手には血まみれのマリア像が握られていた。彼らの欲した物。紅いモノ。
「炎は紅くて綺麗ですよね」
どんな人間も、血の紅と炎の紅は等しく染め上げてくれる。美しい紅に。
「……すべて染まれ」
骸の右目が一際輝くと、屋敷を喰らいつくした炎が唸りをあげて街へ躍りかかった。
クフフ、と妖しく笑うと、炎の広がる街へと歩みを進めた。
人の逃げ惑う中を、炎を引き連れるように少年が歩く。炎とその異様な光景に怯えた人々が盛んに叫びをあげていた。
(騒がしいですねぇ)
「あぁ、まだ寝ていていいんですよ? 僕も眠くなってきましたし」
犬と千種、2つの小さな身体を両肩に担ぎ上げて歩く。左肩から血が噴き出したが、なんだかもう全てが紅くてわからなかった。
「ほら、着きましたよ」
開けっ放しになっていた扉を閉めて、2人をそっと凪の隣に横たえる。
「ただいま、凪」
返事は返って来ない。3人の髪をさらさらと撫で、骸は独り、疲れたような笑みを浮かべた。
本当にこの部屋は紅くて綺麗だった。彼らが真に焦がれた紅も、今はここにある。
「僕も……少し眠いな」
ゆるゆるとした眠気を感じながら、床に落ちている絵に手をのばした。
4人の名前の入った絵。それを抱きしめるように胸におさめた。
「起きたら、今度はずっと一緒にいましょうか。――この絵のように」
炎に紅く照らされながら、ゆっくり目を閉じる。
炎の爆ぜる音と人のざわめきとが急速に遠退いて、ただひたすら安らかだった。
(温かい……な……)
骸の意識は黒と紅の狭間に塗り潰された。
日だまりの匂い。柔らかな風。何か大きなものに包まれているような、不思議な安心感。
(……?)
定まらない意識のまま、重い瞼をこじ開ける。
横に細い視界に入って来たのは――
「――っ!!!」
瞬時に覚醒し、身体をひねりながら跳ね起きる。振りかぶった右手が虚空から三叉の剣を取り出し、躊躇なく突き出した。
「わ……っと!」
子供っぽい声を上げながらもしっかりと剣先をグローブでそらした男を、怒りに満ちた目で睨む。
「それに触れるな!!」
ぐらつく足で必死に踏ん張りながら叫ぶ。身体が思うように動かなかった。
骸の目を真っすぐに受けとめた男は困ったように苦笑した。
「すまん。そんなに怒るとは思わなかったから」
ごめんな、と少し屈んで絵を差し出すと、ふわふわした蜂蜜色の髪が優しく揺れた。見覚えのある、優しい色合いだった。
「……っ」
ばっと絵を男の手から奪うように取る。たったそれだけで身体がギシギシと軋み、左肩に激痛が走った。
「おい、あんまり急に動くなよ。ひどい傷と火傷で、1週間も寝込んでたんだぞ」
その言葉に骸の表情が歪んだ。自分は彼らと同じ世界へは行けなかったのだ。そう思うと急に身体の力が抜けて、意識が薄らいだ。
「なぜ――」
「わっ、おい!?」
身体が意に反して前に傾ぐのがわかったが、どうしても身体に力が入らなかった。
そのまま前のめりに倒れかかり、男の腕に抱き留められるのを感じたところで、骸の意識は再び黒く塗り潰された。
「おや、どうしました?」
「骸さん、柿ピーが俺の嫌いなもんばっか作るんれすよ!」
「犬の好きなモノだけで夕食作ったら、肉だけになる」
「ふんだ! あといちご味のガムもあるかんな!」
「夕食にガム食べる気……?」
「それはさすがに僕もちょっと…」
「あ、ひどいれす! 骸さんまで否定するんれすか!?」
「私も、ガムはちょっと……」
「うるへー! ドクロはガリガリなんだから肉だけ食ってりゃいーんらっつの!」
「……はぁ。メンドい」
「ハイ、メンドい来ましたー! とにかく、今日の夕飯は肉! 肉肉〜!」
「まぁ、クロームが痩せてるのは本当のことですし、たまには肉ばっかりっていうのも中学生らしくていいんじゃないですか」
「骸様……」
「ハイ、肉けって〜! ひゃほ〜いっ!」
「……はぁ。バカ犬」
ドカっ
「きゃんっ! 何すんだよ柿ピーのバカっ! もっさり陰険メガネっ!!」
ドドカっ
「きゃきょーんっ!!」
「犬っ」
「うるへー! ほっとけっての!」
「おや、クロームにあたるんですか、犬?」
「ちっ、違うびょん! 誤解だびょんっ」
「あ。逃げた」
「全く……」
「どうしますか、今日の夕食」
「クフフ、たまにはいいでしょう。クローム、豚肉・牛肉・鶏肉、どれがいいですか? 裏をかいてゲテモノ系で攻めるのも面白そうですが」
「……千種が作ってくれるなら何でもいいです」
「おやおや。では我が家の千種シェフに任せましょうか」
「……」
「僕も楽しみにしてますよ」
「……はい」
「じゃ、買い出しは犬に頼みますか」
「…………いえ、俺が行きます」
骸様
骸さん
骸様……
誰かに呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開ける。デジャビュを感じながら、視界に入ってくる蜂蜜色髪の男を見た。
「お! 起きたな。腹減ってるだろ? 今リンゴ剥いてやるから」
男の手には真っ赤なリンゴと、あまり果物ナイフらしくない武骨なナイフが握られていた。というか、はっきりと護身用だった。
普段の骸ならば至近距離で刃物を持った人間など許してはおかないが、今の骸にはどうでもよかった。何もかもが曖昧で、深く考えることもできない。
男の手が危なっかしく動いて、紅いリンゴが少しずつ黄色に剥かれていく。
(……紅い。そうだ、彼らが探してた――)
「マリア像……」
ぼんやりしたまま、頭に浮かんだ言葉を呟く。
しゃり、と男が手を止めた。
「――もう終わったんだよ。ここはお前のいた街の北東。街の端っこにあるボンゴレの屋敷だよ」
(……ボンゴレ?)
聞いたことのある名前だと思いながらも、考えはまとまらない。頭がひどく重い気がする。言いようのない焦燥感と喪失感が骸の身体を乗っ取っているような錯覚があった。
「……犬、千種、凪……?」
自分はどうしたのだったか。なぜ彼らはいないのだろう。さっきまで一緒に居たのではなかったか。
……?
どうして自分は子供の姿なのだろう。憑依した記憶はないが。
……憑依?
何かちぐはぐな感じがする。
「大丈夫、大丈夫だから。もう少し休もう。次に目が覚めたら、きちんと話をしよう。だから、」
今はおやすみ、と男は優しく骸の額に口づけた。
(……沢田……綱……よ……し?)
暗く沈む意識の中で視界に広がったのは、遠き未来の面影だった。
コンコン
「……嵐か?」
ノックひとつにも個性が出るもので、彼の几帳面さが硬質な音とリズムから伝わってきた。
「ええ。入っても?」
ああ、と男が返事をすると、黒服をきっちり着込んだ灰銀色の髪の男が室内に入ってきた。一目で育ちの良さがわかる所作で童顔の男の隣に並ぶのは、ボンゴレファミリー最高幹部、嵐の守護者その人だ。そして、誰あろう童顔の若すぎる男こそがその主、ドン・ボンゴレたるジョットである。
「どうですか、そいつの様子は」
静かに寝息をたてる骸を眺める。こうしていると、ごく普通の子供だ。とても街をひとつ焼き払ったようには見えない。
「弾が貫通してたし、この子自身の回復力が高いから身体はちゃんと良くなるってさ。ただ問題は――」
「心、ですか」
どちらともなくため息をついた。
「この子は過ぎ去った過去と届かない未来しか見ていない。まるで今を必要としていないみたいだ」
骸の癖のない髪をなでる。自分の蜂蜜色のぼさぼさした髪とは全然違った。
「……ボス。確かにこいつは不幸な境遇かもしれませんが、俺は同情することも憐れむこともできません」
それだけのことをしたのだから、と言外に滲ませた。
彼には、どうしてボスがこの子供にこだわるのかが理解できなかった。ボスの右腕であり親友であり理解者であると自負していたが、今回のボスの行動は不可解過ぎた。
「たぶん俺も、この子がこの子じゃなかったら、きっとそう思っただろうな」
「……というと?」
余計にわからないというように、嵐の守護者はボスを見つめた。ボスの視線は変わらず骸に注がれている。
「俺はまだこの子の名前も知らないけど、できればこの子の口から聞きたいと思うよ。今は閉ざされているけれど、その綺麗な目で今の俺を見てほしいし、笑った顔も見せてほしい。もっと知りたいんだ、この子のことを」
「……ジョット」
その温かい視線はどこまでも真っ直ぐで、決してこちらを向くことはなかった。
「ハハ、変かな、俺」
きらきらとした笑顔は彼本来の眩しさで、過ぎ去りし日を思い起こさせた。
「……いえ」
マフィアになると決めたその日から、例えその笑顔が自分に向けられなくても、自分はこの人について行くと決めていた。
「ボス、そろそろ会議の時間です」
だから、今はただ、右腕として相応しい自分を目指すだけだ。少しでもこの人の役に立てるように。そばに居続けるために。
「そうだったな。みんな集まるのも久しぶりだし、待たせては悪いか」
名残惜しそうに骸の額を一撫でし、踵を返す。
「さ、問題は雲になんて説明するかかなぁ」
少なからず揉めるであろう会議を思い、小さな溜息が漏らした。
「見て、ちくさ! コレ、あの人の目に少しにてるの」
「ガラス? ――うん、透き通ったかんじは似てる」
「色はこっちのほうがいいよね」
「人形? ――もう少し濃ければいいかも」
「こっちもにてるの」
「……これどこの店の看板? まさか盗んだんじゃないよね?」
「そんなことしない。あの人がよくかんがえろって言ってたもの。ちゃんとおねがいしたら、もうとりかえるつもりだったからいいよってくれたの」
「そう。じゃあくすんでるのは仕方ないか」
「……なかなかいいのないね」
「うん」
「あの人にあえたら、一番いいのにね」
「うん」
「あいたいな」
「……うん」
「生きてればあえるって言ってたよね。それっていつかな」
「さあ」
「……」
「でも、あの人が言ったんだ。きっとまた会えるよ」
「……うん」
「ただいまぁっ」
「犬、ドア壊れちゃうから」
「こないだもこわしてた」
「う、うるせー! ただいまっつったんだから、おかえりって言えよ」
「おかえり」「おかえり」
「ハイ、ただいまー。で、ほうこくほうこく!」
「なに?」
「こないだのあかくてきれーなアレ! となりのまちで、へんなくろいヤツにとられちゃったアレ……」
「あぁ、マリア像?」
「そう、それ! マリアぞー? とにかく、あのひとによくにてたアレ、きょうみつけたんら! しかもこのまちんなかれ!」
「ほんと?」
「ほんとほんと! ぴっかぴかしてたもん、まちがいないっての!」
「……どうするの?」
「どーするって…どーすんの?」
「はぁ。黒いヤツがマリア像取ってくかわりにお金くれただろ。あれでもう一回買えばいいんじゃないの」
「ちくさ、あたまいいね!」
「む〜、みつけたのはオレらっつの!」
「けんもすごいよ」
「……う、うるへー!」
「はいはい。で、ほら、3人で良く考えないと。本当にこれでいいのかどうか」
「いちどは買ったものだし、いちばんあの人の色にてるもの。いいんじゃないかな」
「みぎにおなじ〜」
「じゃあ買うとして、もしあの黒い人がまた来たらどうする?」
「あいつ、うでになにかぶきみたいなのいれてたぜ。それにぜんぜんスキがなかったびょん」
「けんがそう言うなら、あぶない人だよね?」
「うん。でもあの黒い人、ここらじゃ見かけないよ」
「となりまちの人なのかな」
「じゃ、こんどはあわないかもしんない」
「かもね。でも、もしまた来たらどうするかは決めておかないと」
「うー。にげる?」
「きゃっか!! なさけねーっつの!」
「闘ったって僕らじゃ勝てないよ」
「やってみなきゃわかんねーって」
「やってみてダメでした、じゃ済まないよ。死んだらあの人に会えない」
「……わたし、あいたい」
「そ、そりゃーオレだってあいたいけどさぁ」
「日本じゃ命あっての物種って言うらしいし、生きることを最優先にしよう」
「むずかしーことばばっかつかうなよ! いみふめーだっつの!」
「はぁ……。メンドい」
「むきーっ!! ムカツク!」
「けっきょく、にげるの? にげないの?」
「逃げるべきだと思う」
「ちぇっ。じゃあにげるときはオレがいちばんうしろな。でもってちくさがなぎをつれてけよ」
「なんで?」
「なんでって、えーと……」
「犬は1番足が速くて、凪はオレより遅いから」
「わたし、足手まといになるならおいてっていいよ?」
「バーカ! いちばんチビっこいのおいていけるかっての!」
「まぁ、そんなかんじ。変なこと言わないでよ」
「……ごめん」
「すぐあやまんな!」
「……ごめん」
「だーかーらー!」
「メンドい。で、行くの、行かないの?」
「いくっつの!!」
「いく」
「じゃ、さっさと行くよ」
(待って)
「まてよ!」
「ちくさ、はやい」
(行ってはいけません)
「早く行かないと、なくなってるかもよ」
(行くな)
「なにぃ!? おら、はやくしろよ、なぎ!」
(行かないでください)
「けん、ちくさ、まって!」
(お願いです!)
「とーろーいー! ほら、手!」
「うん!」
(行くなぁっ!!)
「行くなぁっ!!」
はぁはぁと、異常なほど近くから息遣いが聞こえる。
「……はぁっ、は……ぁ」
それが自分のものだとわかるのに少し時間を要した。汗で髪が張り付いて気持ちが悪い。
「犬、千種、凪……!」
ベッドサイドのテーブルには、変わらず微笑む4人の絵があった。それをそっと胸に抱き抱えるように持つと、重い身体を強引に持ち上げ、窓の外へと身を踊らせた。
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